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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その5/5
>>その4『若人』第三号は8月30日に発行された。編集部によれば、戦時転住局はすべての作品を翻訳し、英文と和文の両方を掲載すべきであると主張したという。しかし、双方の折衝の結果、従来通りの形式で許可…
篠田 左多江 • 2011年3月4日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その4/5
>>その33. 比良男女青年会機関誌『若人』1943年2月に忠誠登録が実施されると、青年会の活動は難しくなった。会員の大多数は合衆国への忠誠を拒否し、隔離収容所への移動または日本への送還を希望した。…
篠田 左多江 • 2011年2月25日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その3/5
>>その22. 『若人』創刊の背景 -比良男女青年会の活動-収容所への移動が完了してほどなく、帰米二世たちが集まって帰米男女青年会が発足した。急激な環境の変化によって落ち着かない生活を送っていた若者…
篠田 左多江 • 2011年2月18日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その2/5
>>その1所内には戦場で使用するカモフラージュネットの工場があり、住民に戦争努力への貢献を求め、市民権を持つ人のみが働くことを許された。また、早くも1942年9月から戦時転住局の斡旋で、綿花摘みの労…
篠田 左多江 • 2011年2月11日
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『若人』 -帰米二世文学の芽生え- その1/5
1. 『若人』創刊の地 ―ヒラリヴァー収容所― 『若人』が生まれたヒラリヴァー収容所、正式にはヒラリヴァー戦時転住所(以下ヒラとする)は、アリゾナ州のピマ・インディアンの居留地のなかにあった。第一次…
篠田 左多江 • 2011年2月4日
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ある帰米二世の軌跡: 歯科技工士 ハワード・小川さん -その3
>>その2フレズノへの「かなわぬ逃避」1941年12月7日、ハワードさんと永松家の人々は、いつものように教会での礼拝を終えて家にいました。そのとき、ラジオで信じがたいニュースが流れたのです。日米戦争…
郷 崇倫 • 2010年11月1日
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Enlisting to escape internment: A Japanese American's story
Jimmy Makino sat in an internment camp in mid-1940s Arizona. Among a room of other Japanese America…
コニー・K・ホー • 2013年7月30日
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Nikkei Agriculture in Orange County, California, the Masuda Farm Family, and the American Way of Redressing Racism - Part 4 of 6
Read part 3 >> By late December of 1941, the armed services ceased accepting Japanese Am…
アーサー・A・ハンセン • 2012年12月14日
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The Girl with Hair like the Sun: An interview with author, Claire Mix
Claire Mix will never forget the day she first learned of the harsh realities that Japanese America…
マイ・タナカ • 2012年10月10日
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Hapa-ly Ever After: An Interview with Jeff Chiba Stearns
Growing up in the predominantly white city of Kelowna, British Columbia, Jeff Chiba Stearns felt ve…
ミア・ナカジ・モニエ • 2012年6月12日