ディスカバー・ニッケイ

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吉田 純子

(よしだ・じゅんこ)


東京都出身。法政大学法学部を卒業後、渡米。カリフォルニア州立大学チコ校コミュニケーション学部を卒業後、羅府新報社に入社。編集委員としてロサンゼルス、カリフォルニアの政治関連ニュースのほか、南カリフォルニアにおける日系社会の文化、アート、エンターテインメントや日米関係に関する取材活動および記事を執筆している。

(2018年4月 更新)


この執筆者によるストーリー

日系被爆者たちの声、心の傷跡【第1部】:自らの体験語り継ぎ、平和願う

2019年11月13日 • 吉田 純子

広島と長崎、原爆犠牲者の追悼法要 小東京の高野山別院で4日、広島と長崎の原爆犠牲者の追悼法要が行われた。被爆者たちの悲惨な体験と心に焼きついた傷跡―。追悼法要には広島で実際に原子爆弾(以下、原爆)の被害にあった被爆者たちの姿があった。次の世代に自らの体験を語り継ぎ、平和を願う彼らの声を聞いた。 * * * * * 第二次世界大戦のさなかの1945年、アメリカは8月6日に広島、3日後の9日に長崎に原爆を投下した。原爆は建物だけでなく、街全体を瞬時に焼き尽くし、多くの人々…

「シェフになるまで諦めない」:唐揚げ専門店「ピクニコ」オーナー八木久二子さん

2019年7月22日 • 吉田 純子

「あなた26歳でシェフになんてなれるわけがない」。元夫が言い放った言葉が彼女の闘志に火をつけた。そして心に誓った。「私は自分が『シェフだ』と言えるようになるまで絶対に諦めない」と。ロサンゼルス・ダウンタウンにある複合施設「RAW DTLA」に昨年12月にオープンした唐揚げ(フライドチキン)専門店「Pikunico(ピクニコ)」。そのオーナーの八木久二子さんは日本では元銀行員。料理などしたこともなかった彼女がアメリカで良き出会いに導かれ、有名店での修業を経て、自らのレストラン…

「生きていればまたやり直せる」:パラダイス山火事で被災した小島さん夫妻

2019年7月5日 • 吉田 純子

新たな地で日本食レストラン再開 「深い暗闇の中に突き落とされたような気分だった。でも振り返っていても仕方がない。生きていればまたやり直せる―」。昨年11月8日にカリフォルニア州北部ビュート郡の町パラダイスで発生した山火事「キャンプファイア(Camp Fire)」。全米最悪規模となったこの山火事で被災した小島智代さん、成朗さん夫妻は、住居と所有していたレンタルハウス、そして経営していた日本食レストランすべてを失った。避難生活を送るなか心機一転、今年3月5日には現在暮らすレッ…

アメリカ本土初の日系移民、若松コロニー入植から150周年
番外編: 「おけい」報じた最初の記事

2019年5月8日 • 吉田 純子

排日運動の最中、北米最初の日本人移民団の存在伝える 今から150年前の1869年(明治2年)、日本からカリフォルニアにやってきた北米最初の移民団はエルドラド郡ゴールドヒルでアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。このシリーズでも最初に紹介したが、その一員で19歳という若さで亡くなった少女おけいはアメリカ本土の土に眠る最初の日本人女性とされている。今回、彼女の存在を1916年に最初に世に知らせた竹田文治郎(雪城)の記事をここに紹介したいと思う。排日運動の波が…

アメリカ本土初の日系移民、若松コロニー入植から150周年
第3回 若松コロニーの末裔たち

2019年5月1日 • 吉田 純子

第2回を読む >> 地元女性と結婚した増水国之助、今もカリフォルニアにいる末裔 大工だった増水国之助(1849―1915)は若松コロニーがあった場所の近くの町コロマにとどまり、当時コロマにあったコロマホテルやフレズノ別院の建設にも携わる。 増水の結婚証明書によると、同じくコロナ在住のネイティブアメリカンと黒人の血を引く女性ケリー・ウィルソンと1877年12月28日に結婚した。 大工だけでなく、その後は農家や漁師、魚屋のオーナー、通訳などの仕事をし、日本語と英語の…

アメリカ本土初の日系移民、若松コロニー入植から150周年
第2回 カリフォルニアの大地に眠るおけい

2019年3月25日 • 吉田 純子

第1回を読む >> アメリカ本土で最初に亡くなった日本人の女の子 新天地開拓の夢破れ、入植者たちは若松コロニー崩壊後、日本に帰る者、同地に残る者、それぞれの道をたどった。 跡地は隣人だった農場主ビアキャンプ家が買い取り、その地に残ったのはシュネルの子の子守りだったおけいと元会津藩士の桜井松之助、大工の増水国之助の3人となった。そしておけいと桜井はビアキャンプ家に雇われた。 おけいは会津若松の大工・伊藤文吉とお菊の長女で、渡米前から近くに住むシュネルの子の子守りをして…

アメリカ本土初の日系移民、若松コロニー入植から150周年
第1回 夢と希望胸にカリフォルニアに来た先駆者 

2019年3月18日 • 吉田 純子

海渡り「若松コロニー」形成、日米両国にいる末裔、先祖への思い 小高い丘の上にある小さな墓―。このカリフォルニアの大地に眠るのは、今から150年前、日本から最初にアメリカ本土にやってきた移民団のひとりで、アメリカ本土で最初に亡くなった「日系移民の女の子」の墓だ。彼女の名は伊藤おけい(以下、おけい)。 1869年(明治2年)、夢と希望を胸に会津若松(福島県)からやってきた移民団22人はカリフォルニアにアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。彼らは日本からアメ…

「YES」か「NO」 それぞれの決断:祖父の体験語り継ぐ孫たち ー 第2部

2018年6月6日 • 吉田 純子

第1部を読む >> プロジェクト通して伝えるツチダさん 日系史の研究活動をしているダイアナ・エミコ・ツチダさんは、強制収容所に入所していた日系人から話を聞き、彼らの経験や当時の生活などを伝えるプロジェクト「鉄柵」を進めている。第1部で紹介した日系人画家ロブ・サトウさんの祖父とは逆に、ツチダさんの祖父は戦時中、アメリカに忠誠を誓わず、忠誠登録の質問に「NO」と答えたひとり。正反対の祖父を持つ2人に、それぞれの思い、そして家族の物語を聞く第2回。今回はツチダさんの祖父タ…

「YES」か「NO」 それぞれの決断:祖父の体験語り継ぐ孫たち ー 第1部

2018年6月5日 • 吉田 純子

絵を通して伝えるロブ・サトウさん 第二次世界大戦中にヨーロッパ戦線に投入された日系人部隊「第442連隊」や、強制収容所での人々の様子を描いた日系人画家ロブ・サトウさん。サトウさんの祖父は戦時中、アメリカに忠誠を誓い、忠誠登録の質問に「YES」と答えた。一方、日系史の研究活動を行っているダイアナ・エミコ・ツチダさんの祖父は「NO」と答えたひとりだった。正反対の祖父を持つ2人に、それぞれの思い、そして家族の物語を聞いた。   「YES―」、米国に忠誠誓った祖…

第2回 日米をめぐる家族の物語:やっと会えた実母、そして別れ

2018年4月16日 • 吉田 純子

第1回を読む >> 千葉県柏市に住む島村直子さんは、伯父で画家の故・島村洋二郎の息子で、3歳の時に養子として米国にわたったいとこのテリー・ウェーバーさん(鉄さん)を30年にわたり探し続けてきた。東京の乳児院や児童相談所、アメリカ大使館のほか、テリーさんの養父母が卒業した大学にも問い合わせるなどしたが、努力も虚しく手がかりは一向に見つけられなかった。万策尽き果てたある日、テリーさんがトーレンスに住んでいることが判明。昨年3月、遂に2人は対面を果たすことができた。そしてこの出…

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