筒井 真理奈

(つつい・まりな)

1995年静岡県生まれ。2004年にブラジルに渡伯。サンパウロ市の中学・高校卒業。本年、サンパウロ美術大学センターでグラフィック・デザイン科を卒業。趣味はダンス、スウィーツ作り、ゴールデンレトリバーのライカとブルースと遊ぶこと。目標はダンスを通して神様に仕えること、グラフィックデザイナーになること。

(2016年9月 更新)

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Nikkei Chronicles #5—Nikkei-go: The Language of Family, Community, and Culture

第二のふるさとはブラジル・心のふるさとは日本

母は日系ブラジル人、父は日本人で、私は日本で生まれて、9才まで日本で暮らしました。

両親は、私とは日本語だけで話していました。どちらかの両親がブラジル人の場合、子供がブラジル人学校に入ることがありますが、私は保育園から小学校4年まで日本の学校に通いました。当時、ポルトガル語は「água(水)」と「obrigado(ありがとう)」のたった2つの言葉しか知りませんでした。それを、どういう場面で使っていたのかも思い出せません。

ブラジル人と会う機会は、母と一緒にブラジルの福音教会へ行くときだけでした。そこでは、みんなポルトガル語で話していました。母もそうでした。私はいつも子供たちと一緒でした。日本の学校に通っていたので、皆、日本語で話していました。

その教会で、私は初めてブラジル料理を食べました。ブラジル式の米と豆の料理やローストチキン、コシーニャやストロガノフ。今でも好物です。その教会の行事のダンスに参加するようになって、今でもダンスに熱中しています。

日本に住んでいたころ、ブラジルには二回も来たことがありました。赤ん坊のときと6才のときです。でも短い期間でした。そして、9才でこちらブラジルに定住しました。いつも母親と一緒でした。

空港からサンパウロの伯母の家へ行く途中、チエテ川を通り、「なんて汚い川なんだろう!」と、驚きました。そして、車が大きく揺れると、「すごくデコボコな道だねぇ?!」と、母に言いました。

伯母の家では、皆、ポルトガル語だけで話していました。私はぜんぜん分からなかったので、しょっちゅう母に聞いていました「なに?なに?なに言ってるの?分からない!」そのため、いとこたちは、今でも、「なに?なに?」と、私をからかいます。

2004年10月にブラジルに着き、ポルトガル語は、ひと言も知らなかったけれども、テレビのアニメを見たり、伯父さんたちの会話を注意深く聞いたりして、幾つかのポルトガル語を覚えたので、半年後(2005年の半ば)に市立小学校の4年に編入しました。

中学も高校も公立でした。先生やクラスメートとのコミュニケーションに苦労することはありませんでした。当時、外国からの生徒は珍しかったので、クラスメートは、名前の書き方に興味を持ち、「ねぇ、日本語ではGabrielってどう書くの? Juliaは?」などと、よく聞かれました。

おかげ様で、イジメとか、差別を受けた記憶はありません。成績もクラスでトップだったので、みんなも仲良くしてくれました。

母には感謝しています。いつも私を温かく見守ってくれて、応援してくれ励ましてくれています。私のしあわせを願ってくれています。私が出かけるときは「気をつけてね」と、見送ってくれます。

前にも言いましたが、日本ではブラジルの教会に通っていました。ブラジルでは日本人が創立した教会に通っています。メンバーのほとんどが日系人ですけれど、皆が皆、日本語が分かる訳ではありません。私はよく「日本語でJesusってどういうの?」と聞かれます。また、日本語でお祈りをするように頼まれます。

現在、教会の「HIKARI」というグループに参加しています。ダンスのほかに振付を担当している中の一人です。子供向けの礼拝の奉仕もしています。

12年経った今、家で話すのはポルトガル語で、日本語を使う機会は少なくなっていくばかりです。それでも、いつも使う言葉があります「いただきます、ごちそうさま、ごめん、ありがとう、大丈夫、早く早く、痛い!、美味しい!、高い!、トイレ、ごはん、納豆、しょう油」などなど。

非日系人と話しているときでも「はい」と答えてしまいます。何にでも「はい」です。

子供のころ、日本語で考えるのか、ポルトガル語で考えるのかと、ブラジル人に聞かれたことがあります。「日本語です」と、答えていましたが、大人になってからは、ポルトガル語でしか考えません。しかし、時々、ポルトガル語を忘れてしまい、日本語しか出てきません。

一般のブラジル人が、おもしろがって日本語を使うことがあります。先日、道路を歩いていると、店の前に立っていた男の人が私に「サヨナラ」と、突然言いました。

日本が、とても懐かしいです。日本にしかない物がたくさんありますから。いつか日本へ戻るのが夢です。向こうで暮らすのか、遊びに行くのかはまだ分かりませんが。そして、日本で暮らすことになれば、そんなに言葉には苦労しないと思います。ただ、仕事をするとなれば、もっと勉強をしなければならないでしょう。

家族は、私が、すっかりブラジル人になったと言っています。もう内気でもないし、ほがらかで前向きになったと。

私も、自分でも、ブラジル人ぽくなったと思います。しかし、ブラジルに居る年月は、日本に居た年月よりももっと長くなったにもかかわらず、自分では、やはり「日本人」の意識が強いです。日本は強く心に刻まれています。

 

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このエッセイは、「ニッケイ語」シリーズの編集委員によるお気に入り作品に選ばれました。こちらが編集委員のコメントです。

朝日 祥之さんからのコメント

今回の企画に提出のあった日本語によるエッセイ(3件)を読ませてもらいました。いずれのエッセイも日系社会で生活する人たちの様子が丁寧にわかりやすく書かれてあります。これまでの生活の中で遭遇した様々な問題に向き合う姿も知ることができました。どれも素晴らしい内容でした。

私のお気に入りは,筒井真理奈さんの「第二のふるさとはブラジル・心のふるさとは日本」です。このエッセイには,筒井さんご自身のこれまでのライフストーリーが書かれています。日本で生まれた筒井さんが渡伯してからの生活ぶり,ポルトガル語を勉強していた様子などがわかりやすく書かれています。例えば,ポルトガル語を不自由なく話せるようになった現在でも「いただきます,ごめん,大丈夫,痛い」などの日本語を使うことや,時にポルトガル語が出てこなくて日本語になってしまうことなど,といったことです。

現地の社会の一員として生活するようになる自分が出来上がる一方で,日本人としての自分も忘れない姿は,日系社会に関わる誰もが体験することだと思います。そこに言葉が深く関わっていることをわかりやすく教えてくれるエッセイです。私のお気に入り作品として一読をオススメします。

 

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