ディスカバー・ニッケイ

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平原 哲也

(ひらはら・てつや)

@Hiraharito

中学生の頃から外国の短波放送を受信する趣味を始める。ラジオ全般の歴史にも興味を持ち、近年は南北アメリカ大陸で放送されていた日系移民向けラジオ番組の歴史について調査している。2020年に北米大陸で戦前に行われていた番組を紹介する『日本時間(Japan Hour)』を自費出版。

(2022年 9月更新)


この執筆者によるストーリー

日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》
第4回 日本語放送界の第一人者、河辺照男

2023年1月16日 • 平原 哲也

ロサンゼルスの日本語放送史を語る上において欠かすことのできない人物がいる。それは1929年から約9年間アメリカに滞在し、いろいろな番組でアナウンサーを務めた河辺照男である。しかし、当時を知る人でも河辺照男と言われてもピンとくる人はほとんどいないと思われる。というのも公の場では本名の河辺ではなく、前田照男、前田輝男、あるいは国本輝堂の名前を使っていたためである。 まずは河辺の略歴を紹介しよう。1899年(明治32年)に大分県で生まれ、日本大学の学生時代に国本輝堂の名前で…

日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》
第3回 日本文化放送

2023年1月9日 • 平原 哲也

ロサンゼルスのブロードウエーと5番街にほど近いアーケード・ビル屋上にそびえ立つ、KRKDのネオンサインの付いたアンテナ鉄塔は長年にわたりダウンタウンのランドマークとして親しまれている。KRKDは戦前にはこのビルの3階にスタジオを有し、毎週月曜日の夜に日本人が集まり30分の日本語番組を放送していた。このように在留邦人にはおなじみの放送局であった。 KRKDで日本語放送が開始されたのは1932年9月のことである。当初「日本人ラデオ放送協会」と称したこの番組を主宰したのは、…

日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》
第2回 日本語放送の始まり

2022年12月26日 • 平原 哲也

1930年に入り待望のロサンゼルス初の定期的な日本語放送が開始された。ユタ州生まれの河内一正が主宰する「日本人放送局(あるいは日本語放送局)」である。開始は30年4月28日。月〜土曜日の正午から30分、KGFJで放送を行った。 アナウンスは南カリフォルニア大学大学院で政治学を学ぶ神田効一が担当した。「熱弁家で情熱家で世話好き」(『羅府日米』1932年8月22日)と評される神田は、その能弁と学業を生かして戦後愛知県議会議員や県議会議長を務めた。 放送を開始した第一週の…

日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》
第1回 日本語放送前史

2022年12月19日 • 平原 哲也

アメリカにおける商業ラジオ放送は1920年にピッツバーグでKDKAが開局したことに始まる。ロサンゼルスでは21年10月に認可されたKQLが嚆矢(こうし)である。翌年6月時点では25局が林立するほどまでになった。当時は放送に割り当てられた周波数が833kHz一つに限られていたため、各局で曜日と時間を調整しながら短時間の放送を行っていた。 ロサンゼルスで定期的な日本語ラジオ番組が開始されたのは1930年であるが、それ以前にも日本人のラジオ出演が見られる。まずは世界の共通言…

日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《シアトル編》
第4回(最終回) 2世によるラジオ番組とその終了

2022年10月3日 • 平原 哲也

第3回を読む >> 日系アメリカ人クーリエ放送 『ジャパニーズ・アメリカン・クーリエ』紙(Japanese American Courier、以後『クーリエ』紙)は1928年1月にシアトルで創刊された2世を対象とした英字週刊紙(ジェームス坂本社長)で、毎週土曜日に発行されていた。当初はシアトル周辺をカバーしただけであったが、その後に西海岸に版図を広げた。 この英字紙が主宰するラジオ番組が1934年2月にKXA局で開始された(一時期KOL局やKJR局に変更された)。…

日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《シアトル編》
第3回 日系ビジネスがこぞってラジオ放送参入

2022年9月26日 • 平原 哲也

第2回を読む >> 三輪堂 1931年1月時点でKFQW局では隔週木曜日に中村時計店の「日本音曲放送」(第2期)が行われていたが、この番組のない週の同時間(午後7時半〜8時)にも日本音楽が流れてくるようになった。書籍、雑誌文房具、写真機械などを販売する三輪堂がスポンサーとなった番組である。これで毎週木曜日には、日本音楽がラジオで楽しめることになった。1930年には既に番組が開始されていたものと思われるが、同年の邦字紙が保存されていないため、いつから三輪堂の番組が始まった…

日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《シアトル編》
第2回 大人気の日系音楽番組

2022年9月19日 • 平原 哲也

第1回を読む>> 中村時計店の日本音曲放送 北米各地をみても、1920年代の定期的な日系ラジオ番組というのはほとんど存在しないなかで、1928年8月24日にシアトルのKFQW局で「日本音曲放送」が開始された。福井県出身の中村政吉が経営していた中村時計商会がスポンサーになった。 同店では時計に加えてラジオや蓄音機の販売も行っていて、試聴のためにラジオを無償で貸し出すといった斬新なアイデアを打ち出していた。同店では、「ラヂオをお買ひなすた方に日本音曲をお聞かせするのも私共…

日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《シアトル編》
第1回 日本語放送前史

2022年9月12日 • 平原 哲也

日系音楽家の活躍 日本語番組が始まる前には、アメリカのラジオ放送に出演して活躍する日本人音楽家がいた。早いものでは、1922年3月にサンカルロ・オペラ団の一員としてシアトル公演中のソプラノ歌手である三浦環がラジオ出演したとハワイの新聞が報じている。 シアトル地元紙での報道が見当たらず、その真偽はわからない。確かなのは、「シアトルが生んだソプラノ」と呼ばれた声楽家だった名取みよしが1924年以降に、KFOA局の専属歌手としてしばしば歌声を披露したことである。 名…

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