ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/12/31/ja-new-years-celebration/

私たち日系アメリカ人の新年のお祝い

元日に家族のためにうどんを温める母とおば(1986年1月)

お正月は、私たち家族が日本文化について一番よく学んだ時期でした。元日までの1週間、シアトル日本人バプテスト教会で、よく餅つきの手伝いをしたものでした。すりつぶした熱々のもち米の塊を餅粉と一緒に小さな丸い餅にし、手のひらで表面を磨きました。 

年の瀬までに家全体の掃除(大掃除)を終わらせることになっていましたが、実行できたことはほとんどありませんでした。この時期にはすべての支払いも済ませていなければなりません。借りのない状態で新年を迎えるためです。

私たちが小さい頃は、大晦日をおばあちゃんの家で過ごすこともありました。そして、午前零時きっかりに鍋やフライパンを叩き鳴らすのを心待ちにしていました。おばあちゃんの鍋やフライパンが、あんなにへこんでいびつだったわけです!大みそかには、おばあちゃんは台所の床のモップがけもし、みんなが寝静まってから最後にお風呂に入っていたと母が話してくれました。

元日の2、3日前、私たちはおばあちゃんと一緒にうどん(太い小麦麺)を打ちました。小麦粉、ぬるま湯、塩少々を合わせて生地を用意し、それを7回こね、次に5回、最後に3回、間隔を空けて生地を休ませながらこねます。最後にそれを小片に切り分け、長い縄状に伸ばしていきます。そして椅子の背もたれにかけられるくらいの長さになるまで両手で、あるいは板の上で転がしながらそっと引っ張っていきます。私のうどんはいつも途中で切れてしまうので、そんなに長くはなりませんでした。

後年、母やおばたちは、おばあちゃんのためにパスタマシンを購入しました。私より年の若いいとこたちは、おばあちゃんがマシンのハンドルを回すのを手伝いました。楽しかったのは、最後に好みの長さに切りそろえた麺をキャッチすることでした。おばあちゃんはそれを沸騰したお湯で茹で、覆いをかけたかごの中で一晩保存しました。

2人の孫にうどん作りを教える母(2004年12月)

元日に私たちは、おばあちゃんが感謝祭の七面鳥の残骸でとったスープで温めた、太くて美味な手作りうどんを堪能しました。麺は、エビと同様に長寿を象徴しています。

私たちには、他にもお気に入りのお正月料理がありました。私の姉妹といとこは、数の子が好きでした。食べるとき、頭の中でポリポリと大きな音を立てるからです。いとこたちは、魚卵が子孫繁栄を象徴していることを考えて、クスクス笑っていました。母は、幸福を象徴する昆布巻きが好きでした。他にも黒豆は健康を意味し、レンコンは純粋さを、ニンジンとゴボウは安定を、タケノコと餅は強さを表しています。

私は、おばあちゃん手製のキュウリとワカメ、イカの酢の物が好きでした。もうひとつ楽しみにしていたのは、小豆を甘く煮た汁に餅を入れたお汁粉でした。それからおばあちゃんか母が、巻きずしやいなりずしも用意してくれました。私たちは、こういう味が分かるようになり、さまざまな食べ物が何を象徴するのかを覚えようと努めました。

おばあちゃんは、日本の四国出身でした。母親を腸チフスで亡くしたのは、まだ15歳のときでした。そして17歳で写真花嫁としてアメリカに渡りました。つまり、おばあちゃんはほとんどの伝統料理を、渡米後に友人たちや日本の雑誌から学んだのです。だからおばあちゃんの和食は、アメリカの影響を受けていました。和食のほとんどの材料を、地元のウワジマヤ(日本スーパー)やセーフウェイで調達していました。

おじのひとりは、クリスマスには必ず、おばあちゃんにウワジマヤの商品券をプレゼントしていました。それが祖母のお気に入りのプレゼントでした。おばあちゃんの作る日本料理に必要な材料は、その商品券ですべて買えたからです。おばあちゃんがキッチンで忙しく動き回っているとき、大抵おじいちゃんは、テレビの前のロッキンチェアに腰掛け、パイプをくゆらせていました。

おばあちゃんが亡くなった数年後、母は、お正月の伝統を引き継ぐことを決めました。母は、12月の終わりにうどんを打ち、新年の初めにみんなを招待して温かいうどんを一杯ふるまうことを楽しんでいました。

ある年、母はうどんを12束作ると言い出しました。1束が4玉分なので、合計48玉です。1玉につきパスタマシンを20回通すことになるので、合計960回!生地を切って麺にした後の集計では、1008回マシンを回していました。49家庭が来て、1家庭1袋持ち帰ってもらいました。のちに母は、たぶん6束で十分だったと思うと書いていましたが、無我夢中になってしまうのが、まさに私の母らしいところです。

大晦日には、花が描き込まれた花札という日本のカードゲームをすることもありました。この遊びは日本の平安時代にさかのぼります。1組48枚のカードは、1年の12か月を表す12種類のスートで構成され、札の絵にはそれぞれ特別な意味があります。松は強さと忍耐を、鶴は長寿と幸運を象徴し、共に新年への希望と明るい見通しを表しています。

花札で遊ぶ家族(2004年12月)

新年最初の食事は、いつも和食でした。おせち料理は健康的な味がして、特別な意味を持つそれぞれの料理の好ましい特性に、どこか浄化されるようでした。しかしその背後ではいつも、ローズボウル競技場でのアメリカンフットボールのテレビ中継が流れていました。感謝祭の七面鳥とフットボールがセットであるように、日本のお正月にもフットボールは付き物でした。

それは、いつもとてもリラックスしたひと時で、両方の文化が、ちょうどその中間で融合していました。大切なのは家族であり、できるだけみんなが一緒にいることでした。一世の祖父母と二世の両親が亡くなった今でも、私たち家族は年に2回、さまざまな機会に集まっています。

* * * * *

イノウエおばあちゃんのうどん

  1. 小麦粉3カップ半とぬるま湯1カップ、塩少々を混ぜ、なじむまで手で混ぜる。生地を3~4個のボール状にし、ボウルに入れて湿らせた布巾をかけ、数時間から一晩置く。
  1. 手か機械で7回、5回、再び5回、3回と間隔を空けて生地を休ませながら、なめらかになるまでこねる。パスタマシンを使う場合、一定の厚みで7回通し、その後好みの厚みで通す。生地が柔らかくなり、しなやかになる)。手で長い麺状にするか(下記参照)、機械で伸ばして好みの大きさに切る。

    《手打ちの場合》1玉ずつ長いロール状にし、輪切りにする。輪切りにした生地をソーセージの形状にする。湿らせた布巾の上に並べ、カバーをかけて約1時間休ませる。再び生地を、直径1/2インチ(約1.3センチ)になるまで丸め、伸ばす。湿らせた布巾の上に並べ、カバーをかけて30分から1時間置く。

    ビニール製の椅子を2脚、背中合わせに1フィート(約30センチ)ほど離して置く。椅子の表面をきれいに拭く。直径1/4インチ(約6ミリ)の太さの縄状になるまで生地を引っ張り、椅子と椅子の間に渡すようにして置いていく。引っ張るのが難しい場合は、もうしばらく寝かせる。布がほとんど湿っていないことを確認すること。湿っていると、生地が柔らかくなり、くっつくようになる。

    伸ばした麺の下に前腕を入れ、慎重に持ち上げて茹で汁に入れる。

  2. 沸騰したお湯の中で、くっつかないようによくかき混ぜながら約10分間茹でる。冷水で洗い、水気を切る。どんぶり一杯分をまとめて束ね、湿らせたタオルで覆い、涼しい場所で保存する。つゆでうどんを温めれば、できあがり。4~5人分。

 

*この記事は、2023年1月1日に『北米報知』に掲載され、ディスカバー・ニッケイに転載するにあたり加筆修正しました。

 

© 2023 Geraldine Shu

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執筆者について

イヴァン・シュウ医師とルビー・イノウエ・シュウ医師(シアトル初の日系人女性医師)の娘。シアトルのワシントン大学を中心に、免疫研究所に38年間勤める。2016年からはシアトルの日系コミュニティ紙『北米報知』で校正のボランティアをしている。

(2022年2月 更新)

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