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歌舞伎アカデミー主宰者 大野メリーさん ー その2

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末っ子メリーは舞踊が大好き

平川家では、子どもたちは両親をダディー、ママと呼び、4人の子どもたちはそれぞれ英語名で呼ばれた。長男の壽美雄さんはビクター、末っ子の萬里子さんはメリーだ。「というわけで、私は生まれた時からずっとメリーです。今も弟子たちから、メリー先生と呼ばれています」。平川家では、英語がごく身近にあった。

カムカム英語の放送は1日がかりで、唯一さんは毎朝、弁当を2つ持って、当時愛宕山にあったNHKに出かけていたという。その日の原稿を朝から書いて準備し、午後6時からの放送に備えた。ラジオ放送を離れた後は英会話教室を主宰し、外国映画輸入会社副社長などの職にも就いたが、「ダディーの一生はカムカム英語をやるための一生だったんだなあ」と、晩年に子どもに語っていたと言う。

「父は、けんかっ早い私と違って、いつもにこにこして穏やかな人でした。私は母に似ているんですよ」と、メリーさんは両親の思い出を語る。母・よねさんは、東京・神田に生まれ育った“神田っ子”で、進取の気性に富んでいた。「小学校教師をしていた時に2人だけ選ばれて、アメリカの学校の様子を見に行ったそうです。その後、仕事を辞めて留学生として再度アメリカに渡り、その時に父と出会いました」。日本舞踊と清元(三味線による歌舞伎の伴奏音楽)をたしなむ母の好みで、娘2人も日本舞踊の稽古を始めた。

3歳上の姉は小学6年で踊りをやめてしまったが、6歳で始めたメリーさんの踊りは続く。高校3年生の夏休みには米軍基地に招かれて英語で子どもたちに「てるてる坊主」「絵日傘」の踊りを教えるなど、特技を生かした日米交流の第一歩となった。20歳で名取となり、花柳芙美龍が誕生。会社勤めの傍ら23歳で始めた長唄三味線でも、33歳で名取杵家弥七蝶となった。

アメリカを初めて訪れたのは20歳の時。長兄、ビクター(壽美雄)さんを訪ねたのだ。ロサンゼルス生まれの長兄は、貨物船に乗って15歳でアメリカに戻り、苦学してエベレット高校、ワシントン大学、ニューヨーク大学ロースクールを修了。当時は、シアトルの銀行に勤務していた。この最初の訪問でメリーさんはシアトル大学に1年間通い、その間には兄の勧めにより学校などで日本舞踊を披露することもあった。

シアトルにいる長男、ビクターさんからの手紙を手にする平川唯一さん一家。メリーさんが9歳の時


やがてアメリカを拠点に

東京では、次兄や姉と一緒に父の英会話教室であるカムカムクラブを手伝って小学生を指導したり、企業に勤務したりと、得意の英語を生かす仕事を続けた。他方、シアトルを訪れた時は、日本舞踊や三味線演奏のステージで日本の伝統芸能を紹介することに生きがいを感じる日々。日米を往復するうちに、メリーさんの中で次第にアメリカの比重が大きくなっていった。

1983年にはついに歌舞伎アカデミーを創設し、弟子を取るように。90年代にはタコマ・コミュニティー・カレッジ、シアトル・セントラル・コミュニティー・カレッジ(現・シアトル・セントラル・カレッジ)などでの指導も始まった。各種イベントにも積極的に参加し、日本の伝統芸能の紹介に努めた。シアトル桜祭など、地元コミュニティーの日本文化イベントはもちろんのこと、依頼があれば遠方へも、衣装にかつら、時には三味線も携えて飛んで行く。シータック空港でそんなメリーさんの姿を見かけた人もあったかもしれない。

その功績により2002年には、地元シアトルのエスニック・ヘリテージ・カウンシルから、諸外国の伝統芸能を米国内において発展させ上演することに貢献のあったパフォーミング・アーティストに贈られるゴードン・エクバル・トレーシー・アワードが授与されている。その他、自宅の稽古場の壁には数多くの感謝状が見られる。

2018年の欧州公演の際、共に三味線を演奏したナポリ在住の弟子、パオロ・コトロネさんと

コロナ禍の今も月曜日から土曜日まで、日本舞踊や長唄三味線、日本語会話の指導をオンラインで行う。この10年ほどは全米、時には米国外に住む弟子たちをオンラインで指導していたので、Skype、FaceTime、Zoomとオンライン授業はお手のものだ。

「心血注いでカムカム英語を教えてきた父の背中を見て育ったからでしょうね。指導には根気が要りますが、教える喜びは何物にも代えられません」とメリーさん。2020年末のホリデーカードには、「父の足跡を踏襲しつつ芸道に精進して日米・日伊文化交流の懸け橋として70代後半のわが人生を全うできるよう、更に邁進してまいる所存でございます」とつづった。

日本の文化と伝統芸能を海外に伝えることに道を定めて40年。インタビューでは、「あと10年はやりたいと思っています」と明かす。相変わらず忙しい毎日だが、その合間には2匹の猫に癒されるひと時を楽しんでいる。

シアトルを舞台に、3世代は日米の歴史と共に

歌舞伎の踊りの部分に当たる日本舞踊。メリーさんが歌舞伎アカデミー一門で行うパフォーマンスは、米国内外で評判を呼んでいる。「コロナ終息の折には皆さまにお目にかかりたく願っています」

1900年代初頭、出稼ぎとして岡山からアメリカへ来て鉄道で働いていた祖父・定二郎さん。シアトルで苦学して身に付けたアメリカ文化と英語力を日本に持ち帰り、占領下の日本で英語ブームの立役者となった父・唯一さん。その息子でメリーさんの長兄・ビクター(壽美雄)さんは2018年に他界したが、銀行家として主にシアトルで勤務し、日本経済が急成長した1980年代後半には三菱銀行シアトル支店長を務め、ワシントン州日米協会会長などを歴任した。メリーさんは日本の文化・伝統芸能を伝える民間親善大使として活躍中だ。

話を聞けば聞くほどに、日米関係の変化を鏡のように映し出す平川家3代の記録。それもシアトルが主な舞台として登場することに驚かされる。これは、連続テレビ小説とは全く異なる、しかし正真正銘の「カムカムエヴリバディ」シアトル版のドラマなのだ。

メリーさんは今、かつてラジオでカムカム英語を聴いていた人を探している。「私の周りにも、カムカム英語で学んでいたのでアメリカに来た時ずいぶん助かったという方がおられます。当時を知る方、ぜひご連絡ください」と呼びかけている。クラス受講についての問い合わせを含め、メリーさんへの連絡は、kabukiacademy@msn.comまたは☎253-564-6081まで。

現在は日本舞踊、長唄三味線、日本語会話の全クラスをオンラインで行う。昨年、三味線メンバー国内外総勢13名で長唄三味線アンサンブル、小鍛冶四合奏をZoomで披露。その模様はYouTubeで見られる。

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大野メリー : 4人兄妹の末っ子として1945年、東京に生まれる。日本舞踊を6歳で、長唄三味線を20代で始めてそれぞれの名取となり、舞踊では花柳芙美龍、三味線では杵家弥七蝶を名乗る。日本では、父・平川唯一(1902年~1993年)の主宰したカムカムクラブで英語を教えたほか、本田技研工業外国部などでの勤務を経験。日本の文化・伝統芸能をアメリカで紹介しようと1983年に歌舞伎アカデミーを創設。オンラインも駆使して日本舞踊・長唄三味線・日本語会話を教えている。

 

* 本稿は、シアトルの生活情報誌「Soy Source」(2021年3月13日掲載)からの転載です。

 

© 2021 Akiko Kusunose / Soy Source

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