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赤土の大地と生きる―パラグアイ日系人 - その2

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実はおいしい出稼ぎ

日本の友人や日本人旅行者から、日系人の出稼ぎが会社にいるとかいたとかいう話を聞くことがある。そんな時、かつて全く知識がなかった私は「かわいそうに」と思ったものだった。せっかく夢と希望を抱いて地球の裏側に移住をしても、やっぱり生活が苦しくて日本で働かざるを得ないのだ、と。

しかし南米を旅するうちにまた別のことが分かってきた。それは「ここに住んでいて日本に出稼ぎに行ったら、がっぽり稼いで帰ってこられる」ということ。日本とパラグアイの経済格差は激しく、今日本で働けばこちらでは到底不可能なほどの大金が入る。それをもとでに帰国後事業を始めることも可能だ。それに日系人は3世までは日本で単純労働ができる優遇措置がとられている。つまり全く他国の人が日本に出稼ぎするよりは、よほど簡単なことなのだ。実は移民とは、出稼ぎをすることによってかなりおいしい思いをしているのではないかと思う。

もっともこれも一方的な見方で、本当に生活が苦しくて出稼ぎせざるを得ない人もいるだろう。日系人は日本に帰り住むのも自由らしいが、そういうわけにいかない人もたくさんいることだろう。ただ、何にせよ3通りの選択ができる現在の日系人にとって、状況はそれほど絶望的ではないように思う。

出稼ぎの始まりは1986年、日本がバブル景気に突入した頃だった。企業の人手不足のため、人材派遣会社が日系人を勧誘するため南米に赴いた。日本で働けば短期間でまとまった金が稼げることを知ると、ちゃんとした仕事を持つ日系人まで日本に働きに行くようになった。その背後には80年代の急激なグアラニー安と円高があった。今もこれらの通貨の差は広がり続けている。

イグアスを散策していたら、「日本語検定」のポスターを何度か見かけた。日本への出稼ぎには日本語力が必要だから、こうした検定試験も大いに利用されているのかもしれない。パラグアイでよい職が見つからないため、高校生の半数以上が卒業後日本に働きに行く年もあるという。多数の日本人が短期間に日本に流出したため、パラグアイの日系社会に与える負の影響は大きいという。

ちょっとおかしなハポン語

この文を書く際に参考にしている本「大地に刻む」に、「ハポン語」という面白いカコミがあったので紹介する。ハポンとはスペイン語で「日本」の意味で、ハポン語とは日本語とスペインがちゃんぽんになった日系人の妙な言語のことだ。本当は現代の移民の生活について書きたかったのだが、時間がなくなってきたのでこれで代用することにする。

  • 「遊ぶ」
    スポーツをする、の「する」の代わりに「遊ぶ」が使われるという。「サッカーを遊ぶ」など。これはスペイン語のjugar(遊ぶ、する)に影響を受けたものらしい。英語のplayと同じだろう。
  • 「家長」
    地方出身者が多い移住者の家庭では父親の権力が強く、この言葉も最近は減りつつあるものの普通に使われるという。
  • 「ヨ」
    スペイン語のYo(私)という単語を、日本語が達者な日系人でも日本語に混ぜて使う。Usted(ウステッ・あなた)も同じくよく使われるという。
  • 「トラ」
    開拓当時この近辺にはピューマやジャガーが出たものだが、日系人はそれらをよりなじみやすい動物の名「トラ」で総称してしまうようだ。

イグアスツアー

よく晴れたある日、イグアスをゆっくり歩いてみた。赤土の道が遥か遠くまで伸び、木々の葉が風に揺れている。「ど」がつくほどの非常な田舎だ。花に彩られた民家があり、長いロープに洗濯物が吊るされている。開放的で明るい雰囲気が気持ちよく、こののどかな農村をいつまでも歩き続けて飽きなかった。以下にイグアスで見つけた日本関係の施設などを紹介する。

● 福岡旅館

シングル1泊3万グアラニー(570円)、日本食の朝食付。日本語の書籍があり、NHKが見られる。しかし何より嬉しいのは五右衛門風呂だ。木のふたを開けると炊飯器を思わせる鉄の釜が姿を現す。落し蓋をしないで入るよう言われ、不安ながらも入るがやけどはしない。湯はかなり熱いが非常に気持ちいい。

「東海道中膝栗毛」で下駄を履いてこの風呂に入った弥次さんとか、底を踏み抜いた喜多さんの話が思い出されてくる。私も五右衛門風呂は初めてだ。まさか南米のこんな場所で入れるとは夢にも思わなかった。かつて五右衛門風呂はイグアスでよく使われていたが、最近はほとんどが電気の風呂に代わってしまったという。薪で焚くのだそうだから大変だ。

● 中央公園

市街地の中心部にあるほぼ正方形の公園。パラグアイ人市長によって作られた平たい鳥居が目立っている。これはかつてピンク色だったが、その後朱色に塗り替えられた。公園内にはステージやさまざまな遊具のほか、日本人とパラグアイ人の融和をイメージしたレリーフ「友好の碑」が建つ。

● 農協のスーパー

中央公園近くにある生協で、日本の食材も販売している。入り口にある掲示板には、求人やお知らせ情報の日本語で書かれた紙が貼られている。日本食材の価格は現地産のものよりはずっと高いが、アルゼンチンで買うよりは安い。以下は値段例。

麦茶1箱 2万8800グアラニー(550円)
チューブ入わさび 1万3200グアラニー(250円)
鰹節5g×5パック 1万5000グアラニー(285円)
永谷園のさけ茶づけ6袋入 2万4000グアラニー(460円)
みそ一袋 7500グアラニー(140円)
キッコーマンしょうゆ1リットル 4万3700グアラニー(830円)

このみそは輸入でなく現地で作られているためかなり安い。さけ茶漬けやしょうゆの値段にはちょっとびっくりだ。

● 日本語学校

子どもをスペイン語学校とともに日本語学校にも通わせるのが、パラグアイ日系人家庭の普通のパターンらしい。広い校庭では、子どもたちがボール遊びをしながら日本語をしゃべっていた。

● 日本人会事務所

2階から太鼓とピアノの音が聞こえていた。1階には日本語の蔵書がつまった小さな図書館がある。

● 白沢食堂

国道7号線沿いにあるきれいなレストラン。焼き魚定食2万グアラニー(380円)、とんかつ定食2万グアラニー(380円)、ラーメン1万3000グアラニー(250円)、チャーハン1万3000グアラニー(250円)などの日本食が味わえる。

(旅行時期 2004年9月)

参考文献:
「イグアス入植40周年記念誌 大地に刻む 第3集」社団法人 イグアス日本人会

 

* この旅行記は2004年9月のもので、ここに記載されている情報は当時のものです。3年以上にわたる世界一人旅の様子を記録した”さわこのWondering the World”からの転載。

© 2004 Sawako Suganuma

パラグアイ 旅行 イグアス
執筆者について

神奈川生まれ。2002年から約3年半かけて、ユーラシアとアメリカ、アフリカ大陸の一部をバックパック旅行する。旅の経験を活かし、現在は東京を拠点にフリーランスの旅行ライター・編集者として活動している。

(2012年12月 更新) 

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