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カリフォルニア大学バークレー校の大学院ジャーナリズム研究員 -修士論文に「沖縄の過去、現在、未来」を取り上げる- その1

カリフォルニア大学バークレー校の大学院修士課程に学ぶ三重綾子さんがLAを訪れ、北米沖縄県人会会員らにインタービューを行った。ジャーナリズムを専攻している三重さんは、卒論に「沖縄の過去、現在、そして未来」を取り上げる。ここでは、私たちを取材してくれた三重さん自身のアメリカでの活動について紹介したい。

三重綾子さん

三重綾子さん(31、東京出身)が立教大を卒業、働き始めたのは2001年。勤務先のTBS(東京放送)で初めて担当したのが、筑紫哲也さんのニュース23という番組だった。仕事を始めて半年もしない9月11日、911テロが起きた。特別班として、テロ直後のニューヨークに送られ、右も左もわからないまま取材を担当。取材者と制作者の合同で作り上げるテレビ番組が視聴者に語りかける力、テレビ報道の可能性を知る。また、取材を通してさまざまな人々と関わり合うことができる報道の魅力にとりつかれる。その後、外信部に異動となり、ワシントンDCなどで6ヶ月の研修を経験するも、60秒、90秒で伝えなければならないニュース、あるいは日本での海外ニュースの取り上げ方に違和感、あるいは限界を感じ始めた。

悩んだ末、三重さんは写真、映像、ラジオなどマルチメディアとしての技術を駆使しつつ、さらにウェブという空間を活用することで、メディア間の垣根を取り払いながら、視聴者や読者と双方向コミュニケーションを図る方向に進むアメリカのジャーナリズムに答えを見つける。また、高校生の時のロサンゼルス留学や、放送通訳の勉強を通して、英文ジャーナリズム独特な視聴者に語りかけるライティングスタイル(書法)に魅力を感じ、アメリカのジャーナリズムスクールに留学することを決意、フルブライト奨学金を得て カリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズムスクールに進学した。

しかしながら、思ったように英文が書けない時期が一年以上続く。また、アメリカのジャーナリズムは、日本の何倍も独創的で、同級生のユニークなアイディアに驚かされ、何処までが報道なのか境界がわかりづらく、特にウェブでの報道に加えて芸術的な考え方やネタの選択方法などを自分の中で消化、理解していくことに非常に苦労した。その一方で、日本の報道スタイルがいずれはアメリカのように変わっていかなければならないのではないかということも痛感する。

ただ、今回のアメリカの留学を通して、一番得た財産は日系人の方々との出会いだ、と三重さんは語る。そして、そこから日米の歴史を新たに学び直す機会を得たことだ。バークレーで、強制収容所の経験者が開いているライティング(執筆編集)の会に参加したり、マンザナーに実際に行ってみることで、今まで教科書の一段落でしか語られなかった歴史に実際ふれることができた。
 

マンザナーを訪れた三重綾子さん。

また、沖縄という、日本本土とは違った独特の文化を持ち、社会構造的にもアメリカへの移民の歴史でも、日本本土出身者とは違うウチナーンチュの人々との出会いを通し、日本の歴史をもっと勉強しなければならないと痛感する。そして、ウチナーンチュが、沖縄文化の保存、そして次の世代への継承に力を入れていることに、非常に感銘を受ける。その一方で日系人の枠組みのなかでも「沖縄」ということが、思った以上にアメリカで報道されていないこと、そして、アメリカで知られていないことにも違和感を感じる。沖縄というのは、アメリカにとって戦略的に非常に重要な場所でありながら、アメリカ人の殆どはその位置さえ知らないことが多い。また、それ以上に沖縄とアメリカの間で何が起こっているのか、1995年のレイプ事件以降はほとんど基地反対運動が起こっているということは知られていない。

去年民主党が自民党を破り、鳩山政権が発足したことで、沖縄を巡るアメリカの報道にも、少し変化の兆しが出てきている。アメリカの新聞各社は連日、基地を巡る鳩山政権とオバマ政権のやりとりを報道している。沖縄で普天間基地反対の大集会が行われた4月25日の直前、ワシントンポストなどでは、鳩山政権が普天間基地に関して現行案を受け入れるという報道まで出ており、沖縄県民の神経を逆なでしている。どちらが本当なのかは別として、日本特に沖縄とアメリカの沖縄報道には大きな格差があることが象徴的に表れている一例だ。しかし、アメリカの報道には、「沖縄の民意」は含まれておらず、ましてや、アメリカに住むウチナーンチュの思いが伝わってくることもない。ネガティブな部分のみに焦点をあてているわけではないが、広い意味での沖縄、すなわち素晴らしい文化と歴史がある一方で、米軍基地がある沖縄、さらにはウチナーンチュらが世界で活躍する沖縄。こうした、魅力のある沖縄というのをもっと深く、アメリカでひろく伝えたい。そして、アメリカにいるウチナーンチュがどのような思いで、生活しているのか、基地問題を見ているのか、ということを日本に向けて発信したい、そういう思いから、三重さんは修士論文の題材に沖縄を選択した。

その2>>

© 2010 Sadao Tome

教育 日本 ジャーナリズム 沖縄県
執筆者について

1941年8月、沖縄県本部町生まれ。学習研究社などの勤務を経て1969年に渡米。グレンデール市立大卒、カリフォルニア州立大(CSULA)に編入・中退。2005年、6年の2年間北米沖縄県人会会長歴任。現在「北米沖縄県人会歴史書編纂」委員長。琉球新報アメリカ通信員。08年に日本エッセイスト・クラブ会員に認定される。著書「アメリカに生きる」。

(2011年1月 更新)

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