ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/2/12/ronald-takaki/

ロナルド・タカキ~「自分」を他の文化、民族の視点から問い続ける - その2

>>その1

第2次大戦とアメリカ国内の人種差別

歴史を正そうというタカキの視点は、アメリカ国内のことだけでなく、第2次世界大戦にも強く表れている。『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』と『ダブル・ヴィクトリー』がそれに当たる。

原爆を投下することで、戦争を早期に終結させ、本土決戦になった場合に予想されるアメリカ兵の死者数50万人の命を救った、とアメリカ人が一般的に信じていることがいかに間違っているかを、タカキは歴史上の事実から解明していく。

では、なぜトルーマンは原爆を投下したのか? タカキはその理由として、戦後の対ソ連・対スターリン戦略、男らしさの演出、人種差別意識、の3つを挙げている。『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』が出版されたのは戦後50年という節目だったこともあり、タカキは来日して日本のいくつかのマスメディアでもこれについて発言していた。メディアでは、3つのうち、特に男らしさの演出を強調していた。トルーマンは、男らしい父、叔父などを誇りとしながら、子供の頃から「意気地なし」と言われて「男らしさ」がコンプレックスになっていた。

大統領になった時も、ルーズベルトという偉大な大統領の突然の死によりたまたま大統領になってしまったことで頼りないと思われており、それだけに強さをアピールしようと必死だった。アイゼンハワーもマッカーサーも原爆使用を反対しているなかで強行したのは、そんな彼の個人的な性格だったというのがタカキの主張である。

『ダブル・ヴィクトリー』は、黒人、ネイティブ・アメリカン、アジア系、ヒスパニック系ら、マイノリティにとって、第2次世界大戦が何であったかを問いかけた著作である。第2次世界大戦は国外のファシズムに対する戦いの勝利であったが、同時にマイノリティにとっては、国内の差別に対する戦いの勝利でもあった、というのである。

戦時中、アメリカ西海岸に住む日系2世は、アメリカ国籍であるにもかかわらず強制収容され、さらに収容所から徴兵されるという矛盾だらけの政策にさらされた。それでも多くの日系2世が志願、あるいは徴兵に応じたのは、アメリカ国内の差別に立ち向かおうという精神があったからだ。自分たちもアメリカ人として、国のために白人と同等に貢献しているという点を強調する意味もあったのだろう。白人の差別を受けてきた他のマイノリティも、なぜ白人の戦争に自分たちが参加しなくてはいけないのかと自問したが、やはり自分たちはアメリカ人であるという意識をもって、多くの者が戦争に参加した。その数は黒人が100万人、メキシコ系アメリカ人が50万人、ネイティブ・アメリカンが4万5000人。人口比にすると、メキシコ系アメリカ人は20%強、ネイティブ・アメリカンは10%以上に相当した。こういう事実に加え、タカキは彼ら個人の声を丹念に拾っていく。それが歴史に生を与え、彼の著作を魅力あるものにしている。

日本はすでに多文化社会! その将来像は?

タカキは、『ダブル・ヴィクトリー』の序文、「日本の読者の皆様へ」でこんなことを書いている。

「日本社会は、蝦夷地、琉球、そして35年の韓国併合によって、長い間、民族文化的多様性を保持してきました。今日、日本の出生率は低下の一途をたどり、労働力不足に伴うが外国人労働者の流入が続いていると聞いています。そうした多様性の拡大は、日本経済の活力と高齢化社会の福祉の維持には重要なことです。単一民族社会日本、の神話は、移民という新たな挑戦を受けているのです」

タカキの目には、日本がずっと多文化社会に映っていることがとても興味深い。そしてその傾向は今後加速していく。それに日本はどう対応していくのか、と問うている。

2008年末現在の外国人登録者数は約222万人、総人口に占める割合が1.74%で過去最高を記録している。内訳は中国が65万人、韓国・朝鮮が59 万人、ブラジルが31万人と続く。222万人という数字は名古屋の人口とほぼ同じで、決して低いものではない。特に芸能やスポーツの世界に目を向けると、黒人演歌歌手のジェロ、モンゴル出身の横綱朝青龍をはじめとして、日本の多文化度は著しく高い。

今年の6月に、メリーランド大学で教鞭をとるラリー・シナガワが学生とともに来日し、上智大学のアメリカ・カナダ研究所で、まさにこの点について話をされた。シナガワによれば、日本の人口の減少、異人種間結婚の増加、という2点において、アメリカの日系社会と日本社会は類似している。これに日本はどう対応していくのか、と問題提起し、参加者との意見交換を図った。

シナガワはタカキの弟子で、ちょうど来日していたときに、タカキの訃報にふれた。講演の後、参加者全員でタカキに黙祷を捧げた。多文化、多民族国家として日本を見つめるタカキの視線は今、シナガワに受け継がれている。
(敬称略)

著書一覧(訳されているもの)
『パウ・ハナ ハワイ移民の社会史』 
刀水書房 1986 原著 Pau Hana 1985
『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』 
草思社 1995 原著 Hiroshima: Why American dropped the Atomic Bomb 1995
『多文化社会アメリカの歴史 別の鏡に映して』 
明石書店 1995 原著 A Different Mirror: A History of Multicultural America 1993
『もう一つのアメリカン・ドリーム アジア系アメリカ人の挑戦』 
岩波書店 1996 原著 Strangers from a Different Shore 1989 ピュリツァー賞候補。ニューヨークタイムズ書評で年間優良書に選ばれる。
『ダブル・ヴィクトリー 第二次世界大戦は、誰のための戦いだったのか? 』
柏艪舎 2004 原著 Double Victory 2000

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 のコラムシリーズ『二つの国の視点から』第3回目からの転載です。

© 2009 Association Press and Tatsuya Sudo

アイデンティティ マイノリティ ロナルド・タカキ
このシリーズについて

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。

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執筆者について

神田外語大学講師。1959 年愛知県生まれ。 1981年、上智大学外国語学部卒業。1994年、テンプル大学大学院卒業。1981年より1984年まで国際協力サービスセンターに勤務。1984年から85年にかけてアメリカに滞在し、日系人の映画、演劇に興味を持つ。1985年より英語教育に携わり、現在神田外語大学講師。 1999年より、アジア系アメリカ人研究会を主宰し、年に数度、都内で研究会を行っている。趣味は落語とウクレレ。

(2009年10月 更新)

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