ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2009/8/20/la-paz-no-uta/

南米パラグアイに移り住んで、コロニア・ラパスの歌

2008年12月の半ば、期待していた農作物も長い旱魃で葉がしなびて見るも哀れな姿になり、毎日の暑さにバテそうなある日、日本人会会長をしている夫が事務所から帰ってこう言った。

『wさんが、「ラパスの歌を作ってみたいのだが、日本人会としてはどう思いますか?」と尋ねてきた。確かにとても良い話だが即答はできないので、「次の理事会で話し合ってみます。」と応えたんだ。』

この話を聞いて、「あら、いいわね」と私も嬉しくなった。何故なら、すぐ近くのピラポ移住地で数年前にピラポ音頭が作られ、色々な行事の際に、皆で音楽にあわせ踊って楽しんでいるのを知っていたからだ。

「ラパス移住地にもその様な歌ができ、皆が楽しく歌ったり踊ったりできるといいな」と思っていたところだった。

子や孫の 賑やかなりし 話し声 祖父母と語る こどばは日本語

数日後、理事会で話し合った結果、「地域の歌を作るのであれば、住民皆に歌詞を応募してもらったらどうか、また長寿会、婦人部、青年部などと一緒に選考委員会を作り、応募してきた歌詞の中から、良いものを選ぼう」となった。

その数日後、歌詞募集の回覧版が回って来た。
「どなたでも応募して下さい」と書かれていた。締め切りは2009年1月15日だった。

移住地には色々な特技を持っている人が沢山いる。歌の上手な人、踊りのできる人、書道の好きな人、手先が器用で細工物ができる人とさまざまだ。もちろん俳句や川柳が好きな人もいるので沢山の歌詞が集まるのだろうと、私は期待していた。

というのも、私は婦人部長をしていたので、選考委員会のメンバーとして、歌詞を選考するのを楽しみにしてからだ。

1月の10日を過ぎた頃、夫に「歌詞は沢山集まった?」と聞いた。
「4,5人ぐらい出していたなー」との返事。
少ないなー、と私はがっかり。沢山の中から選ぶ楽しみが消えてしまった。

1月12日、その頃よく見ていた韓国ドラマを夜遅くまで見ているうちに、目が覚めてしまった。そのドラマは年長者を敬い、家族を大切にし、お互いを思いやるという内容だった。皆がこの様におもえば、親殺し,子殺し、殺すのは誰でも良かったというような事件もおきないだろうにと、色々考えているうち、ひょっと歌詞について考えた。

私だったら、どんな思いでどんな言葉を使って、ラパス移住地の歌を作る?浮かんできた言葉を、年末の大掃除ではずした昨年のカレンダーの裏に書きとめた。

そしてその翌日の夜、前夜メモ書きした単語を並べながら歌詞作りを試みた。

今あるのは先人の苦労の結果であること、それを自慢もせず恩にもきせず、静かに暮らす長寿者を敬い大切に、若い人にはこれまで以上に頑張ってほしいとの思いをこめて・・・

歌詞の一番は現在、2番は過去、3番は未来と助詞や接続詞を考えながら何とか書きあげた。

が、待てよ・・・

選考会には私も出る。本人を前に良いの、悪いのでは、委員の人も言いづらいだろう。そう考え、作詞者名は<山川 里>とペンネームにした。

1月14日、日本人会事務所で「選考会が終わるまで、私だとは言わないで」と係りの女の人に頼んで、歌詞を提出した。

1月15日、選考委員会の開催日、全部で9作品の応募があった。その中にはwさんによる作品もあった。

選考方法は
1 作品は番号による無記名により提示。
2 選考は無記名投票。

結果、<山川 里>さんが、つまり私の作品が選ばれた。作った本人もびっくり、夫も会長として選考委員会に出ていたが、私が応募した事は話していなかった。

後日、「何番に投票したの?」と聞いてみたら、私の歌詞を選んでいなかったので、「30年以上も一緒に暮らしていて、私の書いたのも判らないの?」と一言。

私の歌詞は、日本人歌手・中平マリコさんの協力で「コロニア・ラパスの歌」という題でCDとして最近発表された。中平さんは、毎年ブラジルやパラグアイの日本人移住地をまわって、自分の歌だけでなく、他の歌手の歌なども沢山歌い奉仕活動している方で、今年8月5日、ラパス移住地へ来てこの歌をご披露してくださった。

私のオリジナルの歌詞は、歌いやすく大幅に補作されましたが、私の思いはこの歌に十分こめられていると満足しています。私の歌詞は、とても軽やかな感じの良いメロディーにのって、いつまでも歌い継がれる事を願っています。

「コロニア ラパスの歌 ~50年の歩みを未来へ~

作詞/山神好子 補作:作曲:歌/中平マリコ
編曲/村石篤重

1 祖父母が築いた みどりの大地の
輝く朝日 笑顔に映えて(はえて)
若い力を 無限に 未来に
進めわれらの コロニア ラパス

2 流した汗が 大地にしみいて
豊かな実り 今を築いた
開拓精神 われらの誇り
常に忘れず コロニア ラパス

3 いつでも声かけ 励ましあって
ラパスの未来 君に託そう
誠実 勤勉 たゆまぬ努力
これぞ我らの コロニア ラパス

誠実 勤勉 たゆまぬ努力
これぞ我らの コロニア ラパス

今年8月5日、中平マリコ(右)がラパスを訪れ、「コロニア・ラパスの歌」を披露した時、山神好子氏と一緒に記念撮影。

© 2009 Yoshiko Yamagami

コミュニティ ラ・パス 音楽 パラグアイ
執筆者について

1947年高知県生まれ。11歳のとき、家族と共にパラグアイ国ラパス移住地に移住。1969年に結婚し、一男三女をもうけた。40代より、日本語学校教師、日本人会婦人部役員などをつとめた。現在は、多くの趣味(蘭栽培、金魚繁殖、編み物、魚釣り、料理など)を楽しむ生活を送っている。

(2009年8月 更新)

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