ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2009/3/8/nikkey-shimbun-dekasegi/

第3回 マガリさんの場合=日本で家庭つくった夫=養育費止まり生活困窮

>>第2回

「私はイオーニ。ルイスはあなたに養育費を払うと言っています」。〇四年某日、電話越しに響いたブラジル人女性の声に、マガリ・モレイラさん(46、聖市イタケーラ区)はすぐに悟った。夫の愛人からだ。「私はルイスの妻よ」。皮肉を込めて言い放った。

デカセギの夫ルイス・ミウラさんに、養育費を求めて訴訟を起こしたのは九七年。弁護士を雇い、かつて一緒に暮らした埼玉県内の住所に裁判嘱託書を 送ったが、「不在で届かなかった」。夫の就労先の会社にも送付したが、「受け取りが拒否され、ブラジルに返信されてきた」という。

担当弁護士は、日本にいる夫への裁判は難しいと判断。ブラジルにいる夫の親に取り立てを求めて裁判を起こした。

「でも負けてしまった。彼の母親は重い病気にかかっていると主張したの。医療費の負担が大きく、養育費の支払いはできないと訴えたことが認められたわけ。でも彼女は今でも元気にしているのよ」。マガリさんの顔が悔しさでゆがむ。

間もなく判決を知った夫から電話があった。冒頭の女性の言葉は、この時のものだ。以後、当時十六歳だった長男ラファエルさんの養育費として、毎月、最低給料分のお金が日本から送られてきた。それは長男が十八歳の成人を迎えた月に、ピタリと止まった。

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東京ディズニーランドのアルバムを手にマガリさん。(聖市イタケーラ地区の自宅にて)

八七年にルイスさんと知り合い、翌年、長男を授かった。聖州ポア市に暮らしていたが、将来の生活を考えて、九〇年に夫が日本に行くことになった。埼玉県羽生市の鉄鋼関係の会社で一年間働き、「二週間に一回は必ず電話をしてきた。仕送りも毎月あった」と振り返る。

帰国後、前妻との間で進めていた夫の離婚調停が認められたため、九一年六月九日、二人は晴れて婚姻届けを提出。直後に一家揃って日本に渡った。

ルイスさんはまじめに働き、週末は家族で遊びにいくこともあったという。マガリさんは今でも当時の写真を残している。アルバムは夫と行ったディズニーランドで買ったものだ。無数の写真の裏面には、夫の直筆のメッセージで「チ・アーモ(愛している)」とあった。

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「私の大きな失敗だった」と今でも振り返ることがある。訪日して三年。マガリさんは長男を連れて母国に戻った。体調を悪くしていた姉を心配しためだった。「夫は一年後に帰ってくる約束だった」。

この時、実は二人目の子どもを授かっていた。妊娠二カ月。帰国するまで気づかなかったという。ストレスや体調不良が重なり、四カ月目に流産した。

「でも夫の家族は、彼が送ってくるお金を使って私が自分で堕胎したと言い、彼にそう手紙を送った。私はしっかり検査を受けていたし、できれば産むつもりだった。彼に私を信じて欲しかった」。

これが一つのきっかけになったのか、夫の送金と連絡は止まった。「彼は結局ブラジルに帰ってこなかった。子どもも小さかったし、生きていけるか不安だった」。

両親の援助を受けながらも聖市内の会社や学校の受付け職員、掃除婦、料理婦などとして働き、これまで糊口を凌いできた。

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マガリさんは、ルイスさんのことを元夫と言う。でも正式には離婚していない。「彼は永住者資格を持ち日本で新しい家族と暮らしている。でも私たちの関係をどうするつもりなのか」。

ブラジルでは相手が不在でも離婚ができる。しかし、ルイスさん自身が切り出してくるのを待ちたいという。

「私は屈辱を受け、お金の面でも苦労してきた。でも十分な償いもなかった」とつぶやく。「彼は本当に自分の息子や家族を忘れてしまったのか。そう思うことが一番悲しい」。

第4回>>

※ 本稿はニッケイ新聞2008年12月9日に掲載されたものを許可を持って転載しています。

※ ニッケイ新聞(www.nikkeyshimbun.com.br)はブラジル国サンパウロ州サンパウロ市で発行されている、移住者や日系人・駐在員向けの日本語新聞です。

© 2008 Nikkey Shimbun

このシリーズについて

ブラジル国サンパウロ州サンパウロ市で発行されてい、日本人・駐在者向けの日本語新聞、ニッケイ新聞(www.nikkeyshimbun.com.br )からのの転載。このコラムでは、世界同時不況のあおりを受けた、デカセギの動向をレポート。“デカセギに捨てられた”留守家族の苦悩と想いを探るとともに、日伯両国間にまたがる司法的な課題や現状を探る。

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執筆者について

静岡県静岡市出身。國學院大學文学部史学科卒業後、2006年4月から2年半ブラジル滞在し、サンパウロの邦字紙、ニッケイ新聞で記者研修を経験。日系社会のイベントほかに、デカセギ犯罪帰国逃亡者に関連した国外犯処罰などを取材。現在、静岡市在住。

(2009年2月 更新)

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