インタビュー
叔父に呼びよせられて渡米を決意
おじさんがね、あのー、キャンプから、コロラドに行っとったんですけどね。そこで、砂糖大根やとうもろこし作とった。とうもろこしって言ってもね、たぶんね、食べるだけのやつじゃなくて、馬の肥料にするやつも作っておったんじゃないかと思うんですよ。あのー、当時の写真見ました。かなり、背が高い、えぇ、とうもろこしでしたから。それで、こちらに来れるようになりまして、終戦国ってことで、来れるようになってからね、こちらの農場に戻ったわけですよ。
ところが、あの、えー、おじさんには2人娘おりまして、あのー、それぞれお婿さんもいるんですけど、長女のほうのお婿さんがお百姓さん関係やっておったんですがね、どうもその、あの、おじさんら夫婦は、あの、明治の堅気の人ですから、その、あまり、お婿さん芳しくないと思ったでしょう、たぶん。で、誰かいないって言うんで、僕がそのたまたま、あのー、県のほうでそういう百姓のことやってんで、これがいいだろって言うんでね、それで、うちのお母さんに交渉して、あんた、たくさん兄弟いるんだから、あの、男の兄弟持ってるから、1人くれって言ったんですよ。
僕は下から2番目ね。あと、お兄さんが2人おったわけですよね。だから、いいだろって言うんで、ぎりぎり何か交渉して、OKになったからって。僕、知らなかったんですよね。それで、いや、あのー、ま、いきなりで、あの、軽い気持ちだから、僕もじゃあ行ってみようかなと思って、おったんですがね。でも、来たからには、やっぱりこっちに骨埋めたほうがいいなぁと思いましたけどね。それで…
日付: 2007年5月8日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 渡辺 美津江
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター