ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/893/

目立ちたくない外国人(英語)

(英語) 中学生の頃から、僕は外国に住むことを夢見ていました。もともと僕は、ヨーロッパに住みたいと思っていたので、19歳の夏、ヨーロッパへ行きました。当初は3カ月間行く予定だったのですが、結局6か月滞在しました。1年間のオープンチケットがあったのです。ドイツで軍関係の知り合いができて、彼らは僕に雑務の仕事をくれました。そして僕らは酒を飲んだり、自由奔放に生きていました。1人がカナダ人で、アメリカ人が2人いて、僕は、彼らのアパートの床だったり、とにかく適当にどこかに寝ていました。自分の部屋もなく、ただふらふらと生きているだけでしたが、楽しかったんですよ。いい時を過ごしました。

でも、ヨーロッパに短期間滞在して思ったのは、ここにずっと住みたくはないということでした。ヨーロッパでは僕は目立つので、居心地はよくありませんでした。そういう意味では、アメリカに居るのと同じでしたから。目立ったり、人種差別の対象になったりすることが嫌なのです。僕は、そういったことは自分の人生の外に置きたかったので、日本に初めて来た時、この生活がすごく心地良く感じました。とにかく目立ちたくない、という気持ちが僕にはあって、日本はすごく居心地がいいのです。


Finding Home(映画) アイデンティティ 移住 (migration)

日付: 2003年11月11日

場所: 日本、京都府

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

ピーター・ミズキ氏は、ワシントン州シアトルで生まれ育った日系三世です。子供の頃、家族の木材業を手伝いながら日本の武道である剣道を習いました。そしてワシントン大学に在学中に、剣道クラブの創立メンバーとなります。(その後)日本文化への興味が増し、日本語と剣道を学ぶために文化ビザで日本に渡りました。そして京都で現在の妻に出会い、2人の息子を授かりました。ミズキ氏は日本の永住権を取得し、現在も剣道の稽古に励み、非常勤講師として大学で英語を教えています。このインタビューでミズキ氏は、日本に住む日系アメリカ人が経験したこと、日本社会に受け入れられるまでの苦労などにについて語ります。 (2005年)

PJ・ヒラバヤシ

太鼓から感じる力強さ(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

PJ・ヒラバヤシ

太鼓を通して感じ一世と三世のつながり(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

アン・K・ナカムラ

アメリカのイメージ(英語)

ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。

ボブ・キヨシ・オカサキ

子供時代の日本の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

PJ・ヒラバヤシ

多様なメンバーを持つサンノゼ太鼓(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ボブ・キヨシ・オカサキ

外からみた母国アメリカ(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

ボブ・キヨシ・オカサキ

日本の妻の家族(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

竹下幸男

日本人市民としての意識の欠如(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

竹下幸男

日本の印象(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

山野愛子ジェーン

日本語能力の欠如(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

日本文化の伝統を保存(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

アメリカと日本のいいところを受け継ぐ(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

バイロン・グレイサー

アートをサポートすることの重要性(英語)

イラストレーター、デザイナー

山野愛子ジェーン

お正月料理(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

ウェイン・ヨコヤマ

余所者(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)