ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/892/

日本食の有難さ (英語)

(英語) 僕が日本で気に入っているのは、全体の雰囲気なんです。その雰囲気のお陰で、僕は日本では目立たないで済んでいます。日本社会に生きる日系アメリカ人にとって、ここでは目立つのではなく、逆にとけ込めるのです。僕に限って言えば、日本人ではなく外国人の視点を持って日本に住むことはとても面白いし、人々や社会の観察をするのが楽しいですね。

僕は剣道に関心がありますが、剣道以外のことを日本で学ぶのであれば、料理の勉強をしたいと思います。日本の食事は最高です。日本では、何よりも食事に一番興味がありますね。僕は日本に来て、どこで働こうともお米のご飯を食べられれば、とても幸せでした。ご飯があって、和食のおかずがあり、幸せを感じますね。それから中華も、日本風にアレンジされた中華も、おいしかったですし、今でもそう思います。

日本には、とても洗練された食文化があることがわかりました。僕は、魚も好きです。日本では、魚の種類が豊富ですね。やはり、日本で何か好きなものを一つを選ばなければいけないとしたら、食べ物、ですね。日本での暮らしがとても気に入っています。季節ごとに、例えば今は秋なので、高いので買えないですけど、松茸があり、広島の牡蠣も、もうそろそろですね。ミカンの季節にもなりました。袋一杯のミカンを抱えて、テレビの前で座って4つ5つ食べるのが好きなんですよ。


Finding Home(映画) 食品 アイデンティティ

日付: 2003年11月11日

場所: 日本、京都府

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

ピーター・ミズキ氏は、ワシントン州シアトルで生まれ育った日系三世です。子供の頃、家族の木材業を手伝いながら日本の武道である剣道を習いました。そしてワシントン大学に在学中に、剣道クラブの創立メンバーとなります。(その後)日本文化への興味が増し、日本語と剣道を学ぶために文化ビザで日本に渡りました。そして京都で現在の妻に出会い、2人の息子を授かりました。ミズキ氏は日本の永住権を取得し、現在も剣道の稽古に励み、非常勤講師として大学で英語を教えています。このインタビューでミズキ氏は、日本に住む日系アメリカ人が経験したこと、日本社会に受け入れられるまでの苦労などにについて語ります。 (2005年)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ビンス・オオタ

決してなることができない日本人(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー