インタビュー
アメリカ大陸へ (スペイン語)
(スペイン語)私はベナンシオ・シンキと申します。母方の姓はウアマンです。私には日本人と純ペルー人の血が混ざっております。母はアンデス山脈と山麓一帯にあるシエラという地域で生まれたのですが、私はその土地には行ったことはありません。
私たちはリマ北部太平洋沿岸地のスペという町にあるアシエンダ・サンニコラスという農場地区に住み、かなりの日本人移民者が集住していました。父もその一人でした。 まだ私が生まれる前の1915年、この地区にかなりの日本人が移民してきたのです。なぜ?もちろんその頃の日本は経済的にかなり苦しく、多くの人が「一旗揚げる」ため、また今風に言いますと「アメリカンドリーム」を達成するために海外を目指したのです。その時点では、移住先がアメリカの北米なのか、中米なのか、南米なのかはあまり重要ではなく、とにかく日本から出ることが優先課題だったのです。殆どが一文無しの状態で。借金して移民していましたので、その移民会社には前借していた船代やその他の諸費用を自分の給料から差し引かれて支払うことになっていたのです。