ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/726/

ミュージシャンか僧侶かの選択 (英語)

(英語) 僕が米国仏教大学院に通っていた頃、カンヤ・オカモト師、ボビー・オオシタ師、ロン・コバタ師、ケン・フジモト、ロン・ミヤムラ、ケン・タナカも同じ学校で学んでいました。現在京都で僧院長をしているオカモト師とも夏期講習で一緒になりました。一緒にパーティーをして、勉強して、そしてまたパーティー、という具合でしたね。1974年、僕はもう少し勉強しようと思って大学に戻り、別の僧侶たちと一緒に勉強していました。ちょうどその頃、1974年ですよね、僕はヒロシマという名前の音楽グループに参加していて、僧侶になるか、それとも陰の世界に入ってミュージシャンになるか、どちらか一本に絞ろうという時でした。それで結局僕が選んだのは、陰の世界だった訳です。(笑)


広島市 広島県 日本 音楽

日付: 2004年10月15日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョン・ユキオ“ジョニー”・モリ氏はロサンゼルス出身の音楽家、芸術家、教育者兼役員です。

1949年11月30日、日系一世の父と日系二世の母の間に生まれ、若い頃は、活動家、徴兵反対者であり、1970年代のアジア系アメリカ人運動ではかなり問題を起こした人物でした。更に(同時期)、ロサンゼルスのリトル東京でアメラジア・ブックストアを経営していました。この書店は、共同書籍販売を行うだけでなく、コミュニティの集会や、政治活動、パフォーミング・アートを行う場でもありました。そして2003年に引退するまで、ジャズ・フージョンバンドHIROSHIMAのパーカッショニスト(打楽器・和太鼓奏者)として世界各国を周りました。

モリ氏は、全米初の日系アメリカ人太鼓グループの1つである緊那羅(きんなら)太鼓の主要メンバーであり、過去20年間に渡り、太鼓や日系アメリカ人文化を、小学校から大学の生徒までの幅広い層に、ワークショップを通じて教えてきました。現在は、ロサンゼルスの日米文化会館(JACCC)でパフォーミング・アートのプロデューサーを務めています。(2007年6月13日)

ミシェル・ヤマシロ

ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ハワード・カキタ

原爆投下直後(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

ハワード・カキタ

不運だった親戚たち(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

ハワード・カキタ

息子が原爆を生き延びる希望はほとんどないと考えていた両親(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

ハワード・カキタ

核兵器についての考え(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)