ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/554/

自己表現としての太鼓(英語)

(英語)私がサンノゼ太鼓に参加しようと決めたのは、1974年の1月でした。私がアジア系アメリカ人としてのアイデンティティを自覚してきた経験のうち、太鼓は今までのそれとは違い、自己表現やクリエイティブな感覚を初めて実感でき、なんだかわくわくしたんです。それまでは全て文章を介したことだったり、すごく真面目で整ったことばかりだったんですけど、太鼓によって自分の気持ちがとても高揚したんです。クリエイティブな表現方法を見つけることができて、とてもよかったです。それに、周りの人たちと創造性を集結させて、「いいぞ、いいぞ!」と言い合える自由をも、本当に楽しむことができたんです。それから仲間との友情を感じることもできましたしね。このグループの中ではメンバーは対等な関係を築き、お互い対等に接していたんです。縦割りの力関係というものはなかったんですよ。


芸術 カリフォルニア州 コミュニティ ドラム 音楽 サンノゼ サンノゼ太鼓 太鼓 アメリカ合衆国

日付: 2005年1月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

パティ・ジョー(通称PJ)・ヒラバヤシ氏はアメリカで最も著名な女性の太鼓奏者の一人です。北カリフォルニア州で生まれ育った彼女は、カリフォルニア州立大学ヘイワード校へ進学、そこでアジア系アメリカ人運動に参加するようになりました。その後、彼女はカリフォルニア大学バークレイ校へ編入・卒業し、日本へ1年間滞在しました。帰国後はサンノゼ州立大学の修士課程で都市地域計画学部を専攻しました。大学院在籍中はアジア系アメリカ人研究センターの所長代行として働くかたわら、サンノゼの日本町の将来についての修士論文を書きあげました。

1974年1月、創始者の一人としてサンノゼ太鼓を立ち上げました。現在はサンノゼ太鼓の製作監督として活躍しています。アジア系アメリカ人運動から受けた影響を生かし、太鼓演奏だけでなく、太鼓指導、教育、作曲、ツアー、ワークショップ、学校の課外活動プログラムなどを行っています。(2005年1月26日)

ジョージ・アズマノ

オレゴン州ポートランドのダウンタウン(英語)

アズマノトラベル創設者

キップ・フルベック

ハパ・プロジェクト(英語)

映画製作者・アーティスト(1965年生)

キップ・フルベック

特有性の認識(英語)

映画製作者・アーティスト(1965年生)

キップ・フルベック

ハパ・プロジェクトで学んだこと (英語)

映画製作者・アーティスト(1965年生)

キップ・フルベック

日系アメリカ人が持つ「ハパ」としての意識の高さ(英語)

映画製作者・アーティスト(1965年生)

アルフレド・カトウ

日系コミュニティーにとってのペルー新報(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

クリスティー・ヤマグチ

日系コミュニティのサポート (英語)

プロフィギュアスケート選手。オリンピック金メダリスト。(1971年生)

ロレイン・バンナイ

日系アメリカ人というアイデンティティ意識の高まり (英語)

弁護士(1955年生)

ノーマン・ヨシオ・ミネタ

政界入りのきっかけ(英語)

アメリカ合衆国元運輸長官(1931年生)

ロベルト・ヒロセ

少数の日本人家族と共に育って(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ジョージ・ヨシダ

ジャズとの出会い (英語)

音楽家 (1922年)

ノーマン・ヨシオ・ミネタ

市民参加 (英語)

アメリカ合衆国元運輸長官(1931年生)

ジョージ・ヨシダ

スウィングを愛した二世の若者達(英語)

音楽家 (1922年)

ジョニー・モリ

自分たちで生み出した日系アメリカ人太鼓 (英語)

音楽家、芸術家、教育者(1949年生)

ジョニー・モリ

女性の太鼓奏者 (英語)

音楽家、芸術家、教育者(1949年生)