ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/373/

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

(英語) アメリカの輸送船がカヤオ港に入るたび、その噂はすぐに広まって父親やその家の家長は隠れるんですね。私の父もそうでした。それで警察が父を探しに何度も家に来たんですが、父が見つからないんですよ。結局警察は何度来ても父がいないので、かわりに母を連行し、刑務所に入れたんです。私の妹は当時11歳でしたが、母を一人で行かせたくないと言って、一緒について行きました。父はそれを知るなりすぐに出頭して、母と妹は釈放されました。そして私たちにはたしか1週間の猶予が与えられ、というか強制的に1週間のうちに(ペルーを出るための)準備をしなければならず、私達一家は『キューバ』という名のアメリカ軍の輸送船に乗せられたのです。


ペルー アメリカ陸軍 第二次世界大戦

日付: 2003年10月26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

アート・シバヤマ氏は1930年6月6日ペルーのカヤオで生まれた日系二世の男性です。ペルーで両親・祖父母によって育てられた彼は、第2次大戦中にアメリカ軍の輸送船でアメリカへ両親ともに連行され、テキサス州クリスタルシティの収容所へ収容されました。その後ニュージャージー州シーブロックの生産会社で働くために家族で移住しました。不法移民とみなされていたにもかかわらず、1950年代にはアメリカ陸軍に徴兵され、ドイツに駐屯しました。除隊後は、イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンノゼにて家庭を築きました。近年は、カリフォルニア州ツールレイク収容所の巡礼や日系ペルー人の同窓会に参加したり、日系ラテンアメリカ人の戦後補償を求めるキャンペーンにも携わっています。シバヤマ氏は、2018年7月31日、88歳で亡くなりました。(2018年7月)

*全インタビューはDenshō: The Japanese American Legacy Projectにて見ることができます。

ユリ・コチヤマ

二世兵士への絵葉書(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

隠蔽されたキャンプでの出来事(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

収容所のポジティブな側面(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

一世と二世の一斉検挙(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

真珠湾攻撃が家族に与えた影響(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所での最初の印象 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

甥との対話から生まれた小説 (英語)

作家(1934年生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本軍に包囲されたときのメリル・マラウダー部隊の状況(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)

作家(1934年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)