https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/370/
ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)
(英語)カピオラニ・コミュニティ大学には料理人用の、1年制の小さなプログラムがありました。当時そのプログラムを運営していたのはシロー・マツモトでした。「シローズ・サイミン」のシローです。彼は今ハワイで「サイミンの王様」として有名です。
あるとき私の同僚がやって来て「各プラグラムの卒業率を見て下さい。シローのプログラムの卒業率が低いのです。沢山の生徒が卒業する前に中退しています」と言うのです。そこで私はシローのところに行ってその記録を見せて「シロー、いったい何があったんだ?」と聞くと、シローは「ああ、これがどうかしたの?」と言うので、私は「君のところの生徒は卒業できていないじゃないか」と言いました。彼は私を見て「私の仕事は生徒を卒業させることなのですか?それとも役に立つ仕事を彼らに見つけてあげることなのですか?私は彼らが良いシェフや料理人になって、その分野で良い仕事につくために訓練しているのだと思っていましたが」と言い、そして「だからロイヤルハワイアンホテルが私に『いま副料理長のアシスタントを探しているのだけど、誰かいない?』と電話をしてきた時、一番優秀な生徒を送り込むことができるのです」と言うのです。ですから卒業しないというのは(良い仕事についたということなので)、いいことだったのかもしれませんね(笑)。
シローは「彼らは十分な訓練を受けた。だから私が彼らを送り込むことが出来た。結局私達はそのために彼らを訓練しているのではないのですか?私達は彼らが有利な仕事につけるよう訓練して、そこに素晴らしいチャンスがめぐってくるのです」と言いました。私は「そうか!」と言いました。シローは私に大事なことを教えてくれました。卒業率でなく結果が大事なのだと。私たちが(コミュニティ大学で)やろうとしていることは何だったのか?この様に私はコミュニティ大学の教員からは色々なことを学びました。
日付: 2004年3月18日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ミシェル・マキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
リチャード・ヒロミチ・コサキ博士(1924年9月14日に生まれ)は、ハワイ州ホノルルで育ち教育を受け、人生の大部分をハワイで過ごしています。第二次大戦中は、陸軍情報部(MIS)に所属し指導教官として務めたほか、アメリカ占領下の日本で通訳として従事しました。1948年ハワイ大学の学部課程を卒業、その後、ミネソタ大学で修士号と博士号を取得しました
博士課程終了後、ハワイ大学で教鞭をとるために再びハワイへ戻った彼は、コミュニティ大学の副学長、西オアフ単科大学学長、学術事務局の副局長、ハワイ大学マノア校学長代理、東海大学ホノルル校学長など勤めました。また、イースト・ウェストセンターの設立やハワイ大学のコミュニティ大学システムの確立にも貢献しました。彼の最も好きな教育哲学は「話してください、私は忘れてしまいます。教えてください、私は覚えます。やらせてください、私は学びます。」です。
コサキ博士はミルドレッド(旧姓:ドイ)と結婚し、1962年に一人息子ランドルを授かりました。(2004年3月19日)
舌足らずの話し方を直してくれた先生 (英語)
民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)
親子の触れ合い (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
民族研究の内情 (英語)
コミュニティにおける日系アメリカ人研究センター (英語)
民族研究とのかかわり (英語)
日系人を研究している日本人研究者の推論 (英語)
熱心に働く子供たち (英語)
日本人移民の衣服専門家・研究者
初めての学校 (英語)
渡日に対する決断に祖母の影響(英語)
日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)
フットボールのトレーニングのために100ポンドの芝を担いで山を越える (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
日本語学校 (英語)
日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)
日本の男女別教育(英語)
日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)
ポートランドの日系コミュニティの外で育った経験(英語)
二世ビジネスマン。Made in Oregonの店をオープン。(1921年生)
日本の音楽教育(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
仏教寺院と地方の学校で受けた教育(英語)
アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)