ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1756/

クリスタルシティで楽しんだ運動会やスポーツ(英語)

(英語)収容所では、色々なイベントが催されていました。私が一番楽しんだのは全クラス、全学生が参加した「運動会」でした。 学年ごとにクラス別で競争します。特に徒競走で勝つと、賞品として小冊子や紙、鉛筆、消しゴムが貰えました。競争する事自体がとても楽しかったです。 私は泳げませんでしたが、収容所で泳げるようになりました。とても暑い日で、舗道が熱くなっていても、私は走ってました。暑いからこそ走っていたんです。テキサスの夏の炎天下で体を動かすことを楽しんでいました。相撲のようなこともしましたね。相撲をしたり、書道をしたり、野球などもしました。あんなに楽しんだのは初めてでした。当時はとても楽しかったです。人生最高の時期でした。


幼少期 クリスタルシティ収容所 司法省管轄の抑留所 日系ペルー人 スポーツ テキサス 運動会 アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2019年9月20日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジミー・ナガヌマは1936年にペルーのカヤオで一世の両親の間に生まれた。8歳の時、家族と共に強制連行され、第二次世界大戦中テキサス州クリスタルシティに収容された。戦後、一家は収容所を出ても行くあてがなかったが、カリフォルニア州サンフランシスコの牧師がスポンサーを申し出てくれたので、そこで仕事と住居を見つけることができた。(2020年6月)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

真珠湾攻撃が家族に与えた影響(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所での最初の印象 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

甥との対話から生まれた小説 (英語)

作家(1934年生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本軍に包囲されたときのメリル・マラウダー部隊の状況(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)

作家(1934年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

アメリカ人二世と帰米との野球ゲーム(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)