ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1757/

戦後のスポンサー(英語)

(英語)ペルーは・・・私たちはすべてを失いました。父の築いた事業や全財産全てです。きっと収容所を出ていった人達は、すでに米国に家を持っていたり、友人がいたと思います。しかし我々にはどこにも行く場所がなかったんです。フクダ牧師はサンフランシスコの金光教会で神道を教えている牧師さんで、彼の事業を世話してくれる弁護士か法務長官がいたんです。 もし私たちがサンフランシスコに来たら、スポンサーになって、仕事を見つけてくれると移民帰化局に手紙を書いてくれました。それがサンフランシスコに来た理由です。 家賃を払わなくてはいけなかったので、家族全員が働きました。私は「日米タイムズ」という新聞の配達をしたのを覚えています。「北米」という新聞もありました。何とかうまくやってました。


アメリカ カリフォルニア サンフランシスコ スポンサーシップ 戦後 第二次世界大戦

日付: 2019年9月20日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジミー・ナガヌマは1936年にペルーのカヤオで一世の両親の間に生まれた。8歳の時、家族と共に強制連行され、第二次世界大戦中テキサス州クリスタルシティに収容された。戦後、一家は収容所を出ても行くあてがなかったが、カリフォルニア州サンフランシスコの牧師がスポンサーを申し出てくれたので、そこで仕事と住居を見つけることができた。(2020年6月)

ジェームス・ヒラバヤシ

演劇とのかかわり (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

田中誠一

開拓精神へ捧げる(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

タミオ・ワカヤマ

チャタムに再定住(英語)

日系カナダ人フォトジャーナリスト、活動家 (1941 - 2018年)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

異国感

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

サンフランシスコ初のボーイスカウト隊

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

国外追放と闘うために受けた支援

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

カズム・ナガヌマ

月に一度入国管理局にチェックインする

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

キャンプから戻った後のメキシコ文化の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ベン・サコグチ

キャンプ後の同盟

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家

ベン・サコグチ

キャンプから帰ってきて

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家

ベン・サコグチ

「やりたいことをやった」

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家