ディスカバー・ニッケイ

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自分はアメリカ人だと認識した瞬間(英語)

(英語)自分がアメリカ人だと気付いたのは10年生(高校1年生)の時でした。日本に住んでいる父の3番目の弟である叔父は、跡継ぎのいない家の養子になっていました。その時叔父は、アメリカの私たちの家を訪ねていました。叔父にも跡継ぎはなく、子供に恵まれませんでした。それで私が叔父の養子になり、大人になったらビジネスを継がないかと聞かれたのです。叔父のビジネスは広島で大成功していました。でも私は、「いえ、絶対に無理です。来週はアメフトの練習もあるし」と言いました。「僕はヤンキーだ、アメリカ人なんだ」と私が認識したのは、まさにその時でした。


アイデンティティ 日系アメリカ人 アメリカ合衆国

日付: 2019年9月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 三木 昌子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1938年イーストロサンゼルス生まれ。家族に連れられて1940年に来日。家族経営ビジネスのためにその年のうちに両親は弟を連れて帰国するが、ハワードと兄のケニーはそのまま日本に留まる。

第二次世界大戦が始まり、米国の家族はアリゾナ州ポストンに強制収容される。1945年8月6日、広島に原爆が投下され、ハワードは爆心地からおよそ1.3キロ地点で被爆したが無事だった。1948年に兄と共に米国に帰国し、家族との再会を果たす。

ハワードはコンピュータ技師の道を歩み、引退後は米国広島長崎原爆被爆者協会(ASA)のメンバーとなり、積極的に被爆体験を共有している。(2019年9月)

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。