https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1659/
アーティスト(1926年生)
(英語)私たちが最初にタンフォランへ、次にトパーズに移送された時、私は16歳でした。他の多くの日系家族と同じように私たちも恐怖を感じていました。日本語の記録や手紙の類いは全て処分しました。退去することになった時、私たちは持ち物のほとんどを床に残したまま集合センターに向かいました。
日付: 2018年11月23日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: パトリシア・ワキダ
提供: 全米日系人博物館ワタセ・メディア・アーツ・センターとKCETの共同制作
1926年サンフランシスコ生まれ。モノフィラメント(太い繊維をそのまま1本の糸にしたもの)を織った優れた立体吊り作品や、入り組んだバスケットや器で知られるアメリカ人ファイバー・アーティスト。1926年9月にサンフランシスコで生まれ、1942年から44年まで家族と共にはじめはカリフォルニア州のタンフォラン集合センターへ、その後ユタ州トパーズ強制収容所に収容された。(2018年6月)
フサガスガの強制収容所にいれられた祖父(スペイン語)
米国在住の日系コロンビア人(1974年生)
クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)
クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)
クリスタルシティでの最初の食事(英語)
クリスタルシティの雷
(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人
妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった
クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)
父親の影響
(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士
キャンプから帰ってきて
(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家