ディスカバー・ニッケイ

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三か国語を使った沖縄での活動(英語)

(英語)沖縄に行った時、たくさんの文化や言語の混在が、どれほどややこしいことになり得るかが分かる体験をしました。私たちは沖縄の伝統的な小舟を漕ぐ活動に参加していました。先頭のインストラクターは日本語で指示を出していました。みんなで同じ方向に進むには指示通り動く必要があり、そうしないと船は転覆してしまいます。インストラクターは指示を日本語で叫び、前方には日本の子たちとペルーの子たちが座っていて、日本の子もペルーの子も指示を理解していました。日系ペルー人の子たちは日本語が流暢でした。日系ペルー人には日本語が堪能な人が多いのですが、これは興味深いことですね。それで日系ペルー人の子たちは私にスペイン語で指示を伝え、私は英語しかできない後方にいるアメリカの子たちに英訳して伝えました。この状況がどれほどややこしいか、この例だけでもよく分かると思います。話す言葉が違っても同じように協力することはできますし、うまくいくようにしたのはとても楽しい経験でした。私たちはただ指示を伝達しようとしていただけですが、最高に愉快な瞬間でした。


文化 アイデンティティ 日本 日系アメリカ人 日系ペルー人 言語 沖縄県系 沖縄県 ペルー アメリカ合衆国

日付: 2018年8月30日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: シャーロン・ヤマト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

(日本語)カリフォルニア州ガーデナ育ち。両親は、ペルーの日系および沖縄系コミュニティで育ち、後に米国へ移住したリマ出身の移民。こうした多様な背景を持つヤマシロさんは、これまでさまざまな文化的伝統が混ざり合う環境に触れてきた。北米沖縄県人会に所属し、沖縄とペルーを訪れた経験がある。教員免許を取得したが、ガーデナバレー日系文化センター(GVJCI)での活動機会を得て、非営利の仕事に転向し、GVJCIおよび北米沖縄県人会でボランティア活動をしている。(2018年8月)

山野愛子ジェーン

日本文化の伝統を保存(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

アメリカと日本のいいところを受け継ぐ(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

バイロン・グレイサー

アートをサポートすることの重要性(英語)

イラストレーター、デザイナー

ウェイン・ヨコヤマ

余所者(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

10代のサトウキビ畑で働いた経験が、スポーツ選手としてのトレーニングに役立つ

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

ロイ・H・マツモト

ニックネーム(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

異なった方言を理解することの難しさ(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

典型的な一世だった父(英語)

作家(1934年生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・ヒラバヤシ

家族で日本の伝統的お正月をお祝い(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)