ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/334/

異なった方言を理解することの難しさ(英語)

(英語)私の周りは広島弁を話し、私はそれを聞いて育ったので、広島(弁)に慣れていました。(アメリカの)学校に通うまでは、私が習った広島弁は標準語の一部だと思っていました。学校に行くと(いろいろな)方言がありましたね。私の甥っ子がこの度本を書いたのですが、全部日本語の俗語、特に広島の俗語で(書かれていて)、広島の人でなければ理解できないのではないかと思います。標準語ではなく(標準語と広島弁が)混ざった日本語で書かれていますから。でも私にはなんとなく親しみ深い言葉なのです。一部は私も初めて聞いた表現ですが、(それ以外は)年配の人たちがいつも話している言葉でした。(日本で)色々な場所に行った時も、土地の人達が私と違う話し方をしていたのですが、あまり気にしていませんでした。ここ(アメリカ)にいた人たちの多くは福岡、佐賀、長崎、熊本などの九州弁を話ました。私は鹿児島から来た山口さんという人と話した経験がありますが、彼の話が私にはさっぱり理解できませんでした。同じ九州でもまた全然違うんですね。ですからメモをとることさえしませんでしたよ。みんなが標準語を話してくれると、聞きやすくてありがたかったです。


日付: 2003年12月17・18日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、トム・イケダ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ヒロシ・マツモト氏(通称ロイ)は1913年5月1日にカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のラグナで生まれました。彼の家族は広島県出身で、子供の頃は祖父母とともに日本で暮らし、日本の小学校・中学校に通いました。

アメリカへ帰国後、彼はロングビーチ・ポリテクニック高校へ通うかたわら、さまざまな職を経験しました。第2次世界大戦中はサンタ・アニタ集合センターへ収容され、その後アーカンソー州のジェローム強制収容所へ送られました。ジェロームで6ヶ月間過ごした後、陸軍情報部(MIS)へ志願しました。

松本氏はキャンプサベージで行われた最初のMISのクラスへ参加しました。メリル襲撃隊*(Merrill's Marauders )のメンバーとしての功績は称えられ、後に米国勤功賞(Legion of Merit)を受賞、さらにはRanger Hall of Fame(奇襲部隊)の殿堂入りを果たしました。(2003年12月18日)

*メリル襲撃隊はフランク・D・メリル陸軍大佐率いる第5307混成部隊

ジェームス・ヒラバヤシ

親子の触れ合い (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

山野愛子ジェーン

日本語能力の欠如(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

文化的適応(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

外国人慣れしてきた日本人(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

ペルーへの帰国が不可能ゆえに英語を習得(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

アメリカ人二世と帰米との野球ゲーム(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

マリオン・ツタカワ・カネモト

広島の原爆を目撃(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

キミ・ワカバヤシ

移住初期のカナダでの生活 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

ミツオ・イトウ

日本語学校 (英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

学校と家で学んだ日本語(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

フランク・ソギ

日本語学校に通ったこと(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

戦後日本行きを志願(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

日系アメリカ人として持つ日本に対する親近感(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)