ディスカバー・ニッケイ

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両親(英語)

(英語)私はサンフランシスコの日本町、ジャパンタウンで生まれ育ったサンフランシスコ市民です。日系三世で、1934年7月17日に生まれました。父は帰米で二世です。ハワイ生まれの父の名はウィル・カツイチ・イトウです。子供の頃に家族と共に広島に戻った父は、基本的に日本で教育を受けました。学校教育を終えた父はアメリカ本土に戻ることを決め、カリフォルニア州オークランドに落ち着きました。母は、サンフランシスコ生まれの二世です。名前(旧姓)は、トシコ・グレース・シギオです。母はガリレオ高校に通う典型的な二世の女の子でした。

父はミュージシャンで、カリフォルニア州オークランドに移住した時、オークランドYBAオーケストラというバンドを結成し、リーダーを務めていました。管楽器奏者で、クラリネットとサクソフォンを演奏していました。ダンスパーティなど、どんな場所ででも演奏していました。そのバンド以外にも5人編成でジャムセッションをしたり、アメリカのジャズを演奏したりしていました。

ジョージ・ガーシュウィンなどのアメリカのジャズを演奏する二世ミュージシャンのジャズバンドがあるという噂が日本に伝わり、「それは珍しい。日本に招いてツアーをしてもらおう」ということになりました。当時、父はまだ母と結婚していませんでしたが、二人は付き合っていました。それで父は母のところへ行き、「ツアーのチャンスがある」と言いました。すると母は、自分か日本行きかどちらかを選ぶよう、父に究極の選択を迫ったのです。


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日付: 2015年8月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1934年7月17日、二世の両親のもとサンフランシスコに生まれる。5歳の時に見た『白雪姫』に衝撃を受け、その後生涯を通してアニメーションに夢中になる。第二次世界大戦中、家族と共にユタ州トパーズで強制収容される。その後カリフォルニアに戻り、アニメーターになることを目指してウォルト・ディズニーが好んだロサンゼルスのシュイナード芸術学校(現カリフォルニア芸術大学)に入学。伝説的アニメーター、イワオ・タカモトの指導の下、ウィリーの情熱は開花し、ディズニー、ワーナーブラザース、ハンナ・バーベラ・プロダクションで黄金期を過ごし、アニメーションの世界で長いキャリアを積む。クレジットされている仕事は、『わんわん物語』、『What's Opera Doc?』、『原始家族フリントスト-ン』、『クマゴロー』に及ぶ。

ウィリーは今でも絵を描き続け、日系アメリカ人の第二次世界大戦中の経験を描いた絵本のイラストも手掛けている。サンディエゴで開催されるコミコン・インタナーナショナルでは絵にサインをしたり、ファンと言葉を交わしたりするウィリーを見つけることができる。(2016年9月)

Kazumu Naganuma
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カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

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Masato Ninomiya
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二宮 正人

奥様とのなれそめ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

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Reiko T. Sakata
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レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。

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