ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1516/

マニラから東京へ(英語)

(英語)私たちは空港に連れて行かれました。「空港から一体どこに向かうのだろう?」と思いました。航空機が待機している場所に何台かトラックが来て、20人ほどが乗り込みました。そして将校が搭乗しましたが、彼は補佐官で上級将校ではありませんでした。私たちは誰も将校に話しかけませんでした。「みんな行き先を知りたいだろう。俺もどこに行くのか知らないんだ。パイロットは知っていればいいのだが」と彼は言い、「離陸したら命令を開封することができる」と言いました。開封したのは、離陸後30分かそのくらい経ってからだったと思います。「我々は東京へ向かっている」と将校は言いました。将校は私たちをからかっているんだと思いました。東京に行くことはないだろうと思っていたからです。しかし、それが私たちの目的地でした。私たちは東京に行きました。


軍隊 (armed forces) 日本 軍隊 東京(首都) 東京都 第二次世界大戦

日付: 2015年2月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1921年9月21日、日系移民の両親、イチスケとウメ・フクハラの元にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれる。1927年、ジミーの父は家族を連れてカリフォルニア州サンタモニカに移住し、種苗会社を起業。ジミーはサンタモニカ高校を卒業し、1942年に家族と共にマンザナー強制収容所に送られるまで父の会社で働く。

収容所から早期出所したジミーは弟のジョージと共にペンシルベニア州に移るが、その後60日以内に陸軍に徴兵される。陸軍情報学校に志願し、基礎訓練終了後に東京に派遣され、マッカーサー元師の総司令部(GHQ)の労働局で任務に就く。日本を離れる前、ジミーは両親の親戚を探すために広島を訪問。除隊後はサンタモニカに戻り、4人の兄弟と共に1986年まで種苗会社で働く。(2016年5月)

イワオ・タカモト

マンザナーに向かう途中での喪失

ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラの日本人アニメーター(1925-2007)

ジミー・ナガヌマ

ペルーから米国へ強制連行(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

モニカ・タイシャ―

フサガスガ強制収容所での祖父の話(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

モニカ・タイシャ―

フサガスガの強制収容所にいれられた祖父(スペイン語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士