ディスカバー・ニッケイ

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父と玉(英語)

(英語)私が小さかった頃、父は私にいつもこう言いました。「お前は女の子なんだから、いつか結婚するんだよ。」そして兄には、「お前は大学に行かなければならないし、あれもこれもやるんだぞ」と言いました。私は、「私も!私はどうなの?」と訴えるのですが、父はいつも「女の子だからダメだ。お前は女の子だろ」と言うのです。父はいつもそうでした。父は剣道を教えていて、「私もやりたい」と言うと、「ダメだ。女の子なんだから」と、この繰り返しでした。 そしてある日、私は学級委員か何かに選出され、家に帰りました。すると父は、日本語で母にこう言いました。「この子にキンタマがないのが残念だ。」意味がわかりますか?父は、自分の子供たちの中でこういった特性が女の子にあることを残念がっていたのです。 ある日、私が抗議する様子を目の当たりにしたケネディー上院議員が同僚議員に、「あの女はどこで見つけてきたんだ?すごいな、彼女は玉付きだ」と言ったそうです。私は、スピーチをする機会があると、「これでやっと父を喜ばせることができます」と言っているんですよ。


家族 アイデンティティ

日付: 2013年7月17日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ショーン・ハマモト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

ローズ・マツイ・オチ氏は、1938年12月15日カリフォルニア州ロサンゼルス東部に生まれました。第二次世界大戦の勃発により、当時まだ幼かったオチ氏は、一家と共にサンタアニタ競馬場跡地に強制収容されました。その後、一家は、当時の日系アメリカ人強制収容所の一つであったローワーに鉄道で移送されました。強制収容所から釈放されたオチ氏の両親は、国外退去を命じられましたが、市民権専門の弁護士がこれを覆し、両親を助けました。オチ氏は、一家の辛い体験を通して不当な扱いを知り、不正を正すことを学びました。

オチ氏は、人権や社会正義のために戦うことを目指し、法律の道に進むことを決意しました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で学士号を取得した後、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校で理学修士号を取得し、ロヨラ法化大学院で法学士を取得しました。彼女は、貧困層のための弁護士、「レジー」としてU.S.C. Western Center on Law and Povertyでキャリアをスタートさせ、共同登録弁護士としてセラーノ対プリースト裁判に携わりました。この裁判は、教育の機会平等のための法改正に挑んだ画期的裁判でした。以後オチ氏は、カリフォルニア州認定弁護士、司法委員、懲戒審査官を務め、ロサンゼルス郡弁護士会のための初代AA運営委員会メンバーにもなりました。

また、近年ではツナキャニオン日系人抑留所の保存に貢献し、同抑留所は議会からの歴史遺産認定を受けました。オチ氏は2020年12月亡くなりました。 (2020年12月)

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

二宮 正人

奥様とのなれそめ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。