ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1006/

刑務所 (英語)

(英語) 何についてお話しましょうか?刑務所のことを聞きたいですか?(咳払い)私たちはまず30日間隔離され、あらゆる検査を受けることになりました。その時初めてお尻を突かれたのですが、あまりの痛さに飛び上がって靴が脱げそうになるほどでした。それからIQテストも受けました。彼らは二世全員のIQが高かったことには驚いていましたね。

刑務所職員の多くが中西部出身者だったのですが、彼らはほとんど教育を受けることもなく、IQはかなり低かったのでしょう。そして私たちは投獄された後、刑務所内の職務で欠員のあった仕事を選ぶことができました。私は仮釈放担当事務所の仕事をしばらくの間していたので、大勢の受刑者の情報を得ることができました。兵隊の受刑者も多く、そのほとんどはヨーロッパから連れて来られていました。彼らの多くは、フランス人女性や派遣された先の国の女性に対するレイプや性犯罪で服役していました。その後私は板金やバケツなどを製造する板金加工所に移されました。そこでは職業訓練学校で学ぶのと同じくらいのスキルを身に着けましたよ。(笑)


公民権 刑務所 (prisons)

日付: 2006年5月9日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: リサ・イタガキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

フランク・エミ氏は、1916年9月23日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。彼が家族と共に営んできたビジネスは、戦争により廃業に追い込まれ、エミ氏と妻、2人の子供はハートマウンテン強制収容所に送られました。

エミ氏は、多くの人々と共に日系アメリカ人強制収容の合憲性について声高に問いました。また、ハートマウンテン公平委員会の立ち上げに貢献し、徴兵拒否運動を起こし、政府が日系人に対して取った措置に抗議しました。当時、エミ氏には子供がいたため、徴兵対象者ではありませんでした。

公平委員会は、日系人がアメリカ市民権を取り戻し、家族が収容所から解放されれば、喜んで兵役を受け入れると論じました。合衆国政府は、エミ氏と他6名のリーダーを徴兵忌避の共謀罪で訴えました。エミ氏は、18か月投獄され、他86人は裁判を経て徴兵拒否の罪で投獄されました。

戦後、エミ氏や他の徴兵拒否者は、日系人リーダーや退役軍人からつまはじきにされていました。その扱いは、戦後40年経ち、賠償運動が高まり、不正に対して毅然と立ち向かった公平委員会への汚名が晴らされるまで続きました。

フランク・エミ氏は、2010年12月、94歳で亡くなりました。(2010年12月)

ウィリアム・ホウリ

訴訟を行うことで人権回復のための基準を設定(英語)

政治活動家(1927-2010)

上杉 武夫

ニューヨークで学んだ後、日本に帰国(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

上杉 武夫

米国に残り市民権を取得する決意(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

トム・ユキ

憲法に守られることを信じていた父(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

ミア・ヤマモト

刑事弁護士になる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士