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日系(ニッケイ)—をめぐって
第2回 日系(Nikkei)ってなんだろう
川井 龍介
「日系(ニッケイ、Nikkei)」にかかわるさまざまなことを書いていこう、別のいい方をすれば「日系(ニッケイ、Nikkei)」をキーワードにいろいろなものごとに触れていこう、というのがコラムの主旨である。できるだけ話題の間口を広くとっておけばかきやすいだろう、という見方は正直あったのだが、はじめるにあたって、そもそも「日系(ニッケイ、Nikkei)」とはなにかということを考えておきたい。

日系(ニッケイ)—をめぐって
第1回 私と「日系」
川井 龍介
日系ってなんだろう。神奈川県で生まれ育った私が「日系」を認識したのは、いま思えば、学生時代のことだった。英会話の指導をしてくれたアメリカからの留学生が日系のアメリカ人だった。そのときは、いわゆるハーフの人という認識が先で、日系であることは気にはとめなかった。

一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第29回(最終回) 連載を終えて
川井 龍介
およそ1年間にわたり日米をまたにかけて活動した加藤新一という人物の生涯と業績を追ってきました。1900年に広島市で生まれ、1982年に故郷で亡くなった加藤は、戦争を間に挟みまさに20世紀を力いっぱい生き抜いた行動する人物でした。

一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第26回 地球市民となる
川井 龍介
1900年生まれの加藤に直接会っている人は、日本で私が取材した範囲では加藤の甥にあたる吉田さんと加藤の実家近くに住む二人だけで、アメリカではロサンゼルスの広島県人会にひとりいるだけだった。

一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第25回 世界連邦建設への訴え
川井 龍介
行動するジャーナリストである加藤新一は、書き残したものはすくない。少しでも本人の書き残したものがないか、故郷広島の「広島平和記念資料館」の「平和データベース」で「加藤新一」で調べてみた。すると本と雑誌のなかからいくつか加藤の書いたものがでてきた。

一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~
第23回 再びアメリカへ
川井 龍介
1952年11月に広島で開かれた世界連邦アジア会議の事務局長を務め、日本国連協会広島県本部事務局長の職にあった加藤新一は、日本での平和運動の職を捨て、1953年4月再びアメリカに渡った。