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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第7回 南部加州の日系人~その3
川井 龍介
第6回 「南部加州の日系人 ~ その2」を読む >> ロサンゼルスに登場した幾種類もの日系人団体
「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第6回 南部加州の日系人~その2
川井 龍介
第5回 「南部加州の日系人 ~ その1」を読む >>アメリカにわたった日本人は、出身地や宗教、職業などを基準として多くの団体を組織していくが、その一つにロサンゼルスでは「南加中央日本人会」という組織が早くに誕生、さまざまな分野で戦争直前まで活動をつづけた。
「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第5回 南部加州の日系人 ~ その1
川井 龍介
第4回「北部加州の日系人」を読む >>「米國日系人百年史」(1961年)を編集した新日米新聞社がロサンゼルスを拠点としたということもあるだろうが、ロサンゼルスを中心とする本書の第二章「南部加州 (SO.CALIFORNIA)」は、全1431ページのうち440ページにもわたっている。
「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第4回 「北部加州」の日系人
川井 龍介
「米國日系人百年史」(1961年発行)は第一篇「総論」と、第二篇「各州日系人発展史 地方篇」の二つに大きく分かれる。このうち、全体の約3分の2にあたる1000ページほどをさいて全米各州別に日本人、日系人の百年の足跡をたどっている。ページ構成をみると、カリフォルニア州だけが北部、南部、中部とわけられ全体の約半分を占め、残り半分が他の州にあてられている。
「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第3回 移住、被爆体験、平和運動へ ~ ジャーナリスト、加藤新一の仕事(下)
川井 龍介
第2回 「加藤新一の仕事(上)」を読む >> 新日米新聞社の編集主幹として「米國日系人百年史」を取材、執筆、編集した加藤新一は、太平洋戦争を挟んで日米を行き来して生涯を終えた。アメリカに対する思いは被爆体験からすれば複雑だったはずだが、アメリカの民主主義を評価し移住した日本人・日系人の足跡を記録、後半生は平和運動に尽力した。
「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第2回 全米を9ヵ月、4万マイルにわたり取材 ~ ジャーナリスト、加藤新一の仕事(上)
川井 龍介
1961年末にロサンゼルスの新日米新聞社より出版された1431ページにおよぶ「米國日系人百年史」のあとがきを「編者」として、取材、執筆にもあたった加藤新一がまとめている。
「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第1回 日米修好100年を記念しまとめた1431ページ
川井 龍介
日本からアメリカ本土への最初の移民からすでに150年ほどが経つ。いま、初期の移民1世は鬼籍に入り、2世の謦咳に触れることも少なくなった。危惧するのは世代を経るにしたがって、言葉の壁もあってパイオニアである1世の記録が遠くなり忘れ去られていくことである。
テキサスに夢をみた100年前の日本人: 米作ブームを機に野菜栽培、そして油田も ~その4/4
川井 龍介
その3を読む>> メキシコ国境に描いた夢 100年以上前のアメリカへの日本移民、特に入植地を求めるような人たちの足跡を調べると、よりよい場所や機会を求めて地域や州を越えて大胆な移動をしていることが分かる。また、通信手段の乏しいなかで、情報交換もかなり行われていたようだ。
テキサスに夢をみた100年前の日本人: 米作ブームを機に野菜栽培、そして油田も ~その3/4
川井 龍介
その2を読む>> 山本五十六も2度訪れる 当初は米作にしぼり成功したが、のちに野菜作りに転換した。この間、日本人をはじめメキシコ系、アフリカ系、ヨーロッパ系の労働者も雇った。吉松氏はコロニーのために強いリーダーシップを発揮し、一方で地域にはさまざまな面で貢献しアメリカ社会に積極的に溶け込んでいった。
テキサスに夢をみた100年前の日本人: 米作ブームを機に野菜栽培、そして油田も ~その2/4
川井 龍介
その1を読む>> 栄えたウェブスターの日系コミュニティー 西原が入植したウェブスターは、ヒューストンから南東へ車で30分ほど。そのまま南へ進めば、メキシコ湾に突き出たガルベストンの町につく。グレン・キャンベルのヒット曲「ガルベストン」に歌われた町だ。