日系アメリカ文学を読む
日系アメリカ人による小説をはじめ、日系アメリカ社会を捉えた作品、あるいは日本人による日系アメリカを舞台にした作品など、日本とアメリカを交差する文学作品を読み、日系の歴史を振り返りながらその魅力や意義を探る。
第1回から読む >>
このシリーズのストーリー
第18回 (最終回)『僕はアメリカ人のはずだった』
2017年11月10日 • 川井 龍介
1952年生まれの日系アメリカ人3世の詩人、デイヴィッド・ムラは、自分がいったいなにものなのかという問いをずっと抱えてきた。自分を百パーセントアメリカ人と考えたことはなかった。 新宮(和歌山県)をルーツにする祖父母と高知をルーツにするもう一組の祖父母を持ち、父方の祖父は、日露戦争の徴兵を忌避してアメリカにやってきた。2世の父は、アメリカ人として育ち、戦時中は収容所に入れられるが、戦後はアメリカ社会のなかで成功する。その過程で、もともとはカツジ・ウエムラだった名前を、ト…
第17回 『ジャパン・ボーイ』
2017年10月27日 • 川井 龍介
日系アメリカ人の中で、「帰米」(きべい)と呼ばれる人たちがいる。出生地はアメリカなのだが、幼少期に日本で教育を受けて、ふたたびアメリカにもどってきた人たちのことだ。日本に一度戻ってからまたアメリカ(米国)に帰ってくるから帰米というのだろう。帰米が人間そのものを指す場合のほか、形容詞的に帰米二世というように使われる場合もある。 日本から移住した一世の男たちは、たいてい日本人の女性と結婚しやがて子供をもうける。多くの一世は、アメリカでの仕事を「出稼ぎ」的な感覚でとらえているの…
第16回 『がんばって-日系米人革命家60年の軌跡』
2017年10月13日 • 川井 龍介
信念にもとづく闘いの人生 「がんばって」という言葉は、日系アメリカ人二世や三世にとって、日本的な精神を表わす印象的な日本語のひとつではないだろうか。『がんばって-日系米人革命家60年の軌跡』の著者、カール・ヨネダ(1906~1999)は、己の信念にもとづき、強い意志をもって生涯がんばりつづけた人物である。 戦争をはさんだ激動の時代に社会と真正面からぶつかって、力強く生きてきた彼が闘いの歴史ともいえる人生を振り返ってつづったのが『がんばって』である。もともと英語で書か…
第15回 『ヒサエ・ヤマモト作品集 -「十七文字」ほか十八編』
2017年9月22日 • 川井 龍介
1921(大正10)年8月に、南カリフォルニアのレドンド・ビーチで生まれたヒサエ・ヤマモト(Hisaye Yamamoto)は、初期の日系アメリカ人作家の一人で、戦後短編作家として全国的に知られるようになった。 両親は熊本県からの移民で、南カリフォルニアでトマトやイチゴの栽培を手掛けていた。農村の日系人コミュニティーのなかで育った彼女だが、十代から創作活動に励み、戦前は日系の新聞である「加州毎日」などに寄稿していた。 コンプトン短大で学び、フランス語、ドイツ語、スペイン…
第14回 『イヤー・オブ・ミート』
2017年9月8日 • 川井 龍介
アメリカで日系人というマイノリティーでいることは、小説家にとって創作上の大きなモチベーションであり、作品のテーマにもしばしばマイノリティーとしてのアイデンティティーが取り上げられるようだ。 日系二世の女性作家、ルース・オゼキ(Ruth L. Ozeki)のデビュー作『My Year of Meats』(1998年)の主人公は、日系人のテレビ・ディレクターの女性、ジェーン・リトル・タカギ。日本人の主婦アキコをはじめ多くの日本人が登場し物語は展開し、アメリカ社会を象徴する…
第13回 『ワイルド・ミートとブリー・バーガー』
2017年8月25日 • 川井 龍介
アメリカのなかでは、もっとも古い日系移民の歴史をもつハワイ。そこで暮らすのは、アジア系をはじめ、白人、ヒスパニック、黒人、そして先住のハワイアンやポリネシアンなど多様な人種で、それぞれがもたらす文化が、固有の自然や気候、風土とあいまって独特の文化を生み出している。 言葉もそのひとつで、通常の英語のほか、ピジン英語(pidgin English)という、現地の言葉がまざった英語も生まれ、日系移民のなかでも使われた。 このピジン英語で書かれたのが、小説『WILD MEA…