ディスカバー・ニッケイ

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福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

@fukuda

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)


この執筆者によるストーリー

アメリカの日本語媒体
第12回 全米に行き渡るインターネットラジオ『さくらRADIO』

2023年3月31日 • 福田 恵子

コミュニティーをつなぐ ニューヨークからインターネットで配信している『さくらRADIO』は2017年10月にスタートしたのち、数年かけてじわじわと全米の日系コミュニティーに浸透してきた。同ラジオが異色な点は、メディアとは異業種である人材会社インテレッセによって運営されていることだ。 インテレッセ社長の藤原昌人さんはラジオ開設の経緯を次のように語る。 「人材ビジネスで全米各地をまわっていると、ニューヨーク、カリフォルニア、ハワイ以外のエリアでは、ほぼ日本語の媒体が存…

2014年渡米、スケートボード留学生を日本から受け入れる杉本キョウコ・ヒックスさん

2023年3月17日 • 福田 恵子

育児終了後に米留学 初めてのアメリカは18歳の時。現在、ロサンゼルス近郊に暮らし、日本からのスケートボード留学生を迎えてお世話をしている杉本キョウコ・ヒックスさんは、「コネチカット州に留学していた兄を訪ねたのが、アメリカに初めて来たきっかけです。ずっとアメリカの雑貨が大好きで、SONY PLAZA(海外の小物や化粧品などを販売する日本国内のショップ)に通っていました」と振り返る。 しかし、その後、日本で結婚し2人の子の母親になり、さらに離婚でシングルマザーになったことで…

元ジャーナリストで現米日カウンシルのVP — フレッド片山さん

2023年3月2日 • 福田 恵子

日系人社会から白人社会へ 私がロサンゼルスに移住した30年前、日系アメリカ人アンカーとして現地テレビのニュースで大活躍していたのがトリシア・トヨタさん。1995年に起こった阪神淡路大震災の際には、彼女が現地に飛んで被災者を取材していた映像を今も思い出す。他にもスポーツキャスターのロブ・フクザキさんや、2021年秋に日本政府から旭日小綬章を受章したKABCのアンカー、デビッド・オノさんも有名な「日系アメリカ人のジャーナリスト」だ。 そして、2022年の夏にオンラインで…

子どもをサーファーにするため渡米 ― 五十嵐ツトムさんとミサさん

2023年2月8日 • 福田 恵子

移住によって子どもに「生まれる土地」をプレゼント 五十嵐カノアさんと言えば、2021年の東京オリンピックで、日本代表として銀メダルを獲得し、その後も世界各地の大会で快進撃を続けるトップサーファーだ。さらにカノアさんの弟のキアヌさんも同じくサーフィン選手として活躍している。五十嵐兄弟の地元はサーフィンのメッカでもあるカリフォルニア州ハンティントンビーチ。彼らの両親は、新一世として日本からアメリカに移住してきたツトムさんとミサさんだ。 移住の理由を聞くと、ミサさんは「英語が…

2018年渡米、グラミー賞にノミネートされたミュージシャンのMasa Takumiさん

2023年1月20日 • 福田 恵子

音楽業界の最高峰の地へ  2023年2月、ロサンゼルスで授賞式が開催される第65回グラミー賞グローバルミュージックアルバム部門のノミニーの中に日本人の名前がある。その名はMasa Takumi。日本では宅見将典という名前で、ミュージシャン、作曲家、プロデューサーとして活躍し、プロデュースを手がけたアーティストにはEXILE、DA PUMP、AAAといった錚々たる名前が並ぶ。 Masaさんは、あるきっかけを経て2018年1月から、活動のベースをロサンゼルスに…

アメリカの日本語媒体
第11回 世代をつなぐ日本語テレビ 『Japan Hollywood Network』

2022年12月21日 • 福田 恵子

視聴者の最大母数は85万人 30年前に日本からロサンゼルスに移り住んだ時、新しい習慣が生まれた。それは日曜の夜、現地で放送されている日本のテレビドラマを見ることだ。ロサンゼルスに来るまでは出版社で忙しい日々を送っていたので、テレビドラマを見ることなどほとんどなかったし、何より日本のドラマよりハリウッド映画を見る方がずっと楽しかった。しかし、いざ日本を離れるとそれまで見たこともなかった『渡る世間は鬼ばかり』といったドラマを楽しみに日曜を迎えるようになった。それは自分でも驚く…

被爆者である母の経験を小説に — キャサリン・バーキンショーさん

2022年11月28日 • 福田 恵子

娘の病気と母の告白 「ラスト・チェリー・ブロッサム」という小説がある。戦時下の広島を舞台に、多感な少女ゆりこと優しい父、ゆりこが距離を感じる同居の叔母が主要な登場人物となる物語だ。小説の後半では、広島の街を焼土に変えた8月6日、さらにその後の彼らの運命が描かれる。原爆に至るまでの前半は戦時中の日本人の質素だけれど丁寧な暮らしぶりが細かい筆致で描かれている。私の頭の中では、ゆりこの家族のそれぞれの生き生きとした人物像と彼らの感情の機微、日々のやりとりが映像として展開した…

米国で生きる日本人の選択
アメリカ市民として日本で生活する大内二三夫さん

2022年11月4日 • 福田 恵子

米生活50年で再び日本へ 25歳でアメリカに渡った大内二三夫さんは、フロリダ大学の大学院で博士号取得後に化学会社のデュポンに入社。その後、ワシントン大学で長年教鞭を執った物質材料工学の専門家だ。2022年6月に材料工学科教授の職を最後に、同学を退職した大内さんが、次に住む場所として選んだのが長野県松本市だった。 「アメリカでは50年近く暮らし、楽しい思いもしたし、達成感も得られました。私は25年を一つの単位としてとらえています。最初の25年は日本で生活し、次の50年はア…

戦後の日本に引き揚げた満州生まれの母の記録
第3回 再び満州の地へ

2022年10月19日 • 福田 恵子

祖父の足跡を訪ねて 母と祖母の満州からの引き揚げから40年以上が経過した、今から34年前の1988年、私はかねてから温めていた計画を実行に移した。それは、母と祖母、そして私の三代で旧満州の地を訪ねるというものだった。私はその頃、東京の出版社に勤務していた。そして、ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画、満州の傀儡皇帝、溥儀の一生を描いた『ラストエンペラー』を見て、幼い頃から母に聞いていた満州のイメージを具体的に描けるようになっていた。 祖母のカヨは当時、70歳。祖母と母の念…

戦後の日本に引き揚げた満州生まれの母の記録
第2回 戦後の引き揚げ

2022年10月12日 • 福田 恵子

終戦、そして新京へ 恵美子の父親の進が戦地に赴いたのは、昭和20年の5月だった。「父は目が悪かったせいで、召集されたのも最後の頃、しかも兵隊としての等級も一番下だった。満州での現地召集となり、私は母やその頃まだ幼かった弟の正憲や妹の史子とスイカの駅で父を見送った。父は列車のタラップから身を乗り出すようにして、姿が見えなくなるまで手を振っていた」。それが父との最後の別れになるとは、その時はまだ知る由もなかった。 父を戦地に見送った3カ月後、現地の日本人は集まって天皇陛下の…