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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2024/2/19/9967/

アメリカで「体育」の普及に努める元自衛官の川口洋さん

日本にいたら日本は守れない・2011年、自衛隊を辞めて米軍入隊志願

「教育のデリバリー」ビジネスをアメリカで展開中の川口さん。

オレンジ・カウンティーの現地校でPTA会長を務める知り合いが、「うちの学校で半日の運動会を開催する準備を進めています。運営するのは日本人で元自衛官」と聞いて、俄然興味が湧いた。その人が自衛隊を辞めてなぜ渡米してきたのか、なぜ今体育を教えているのか、知りたいと思い、知り合いから紹介してもらい、オンライン取材を敢行した。

体育の授業と運動会普及に携わる元自衛官の名前は川口洋(ひろし)さん。最初に日本の略歴と渡米の理由について聞くと、次のような話をしてくれた。

「日本で高校卒業後、特に目的も持たずに自衛隊に入隊したのですが、そこで出会った同期たちに影響を受け、新しいことにチャレンジしたいという気持ちが生まれました。まず、レンジャー部隊入隊の壁を突破した時に、空から降りてくる空挺隊員に対する憧れが生まれ、努力を重ねた結果、念願の第一空挺団への入隊を果たしました。自衛隊の中ではいかに日本の国を守るかという使命感に燃えていました。

自衛隊時代。

そんな時、SNSを通じてアメリカの海兵隊員である日本人に出会ったのです。彼に会ってみたい、話を聞いてみたいと思い、基地があるノースカロライナに飛びました。彼からはおおいに感化され『アメリカは世界の警察。日本を守るには日本国内にいてはだめだ』という思いに至り、日本に戻った次の日、自衛隊を辞めると上官に伝えました。すぐには辞めさせてもらえず、半年後に退官し、さらに3カ月後にまずは学生ビザでアメリカに渡ってきました」。

幼児教育に方向転換

米軍に入隊して外から日本を守りたいという川口さんの思いは純粋なものだった。しかし、現実は彼の純粋な思いには応えてはくれなかった。

「当時はオバマ政権下で永住権がないと米軍には入隊することができないということが、アメリカに来てから分かりました。よく人には『日本からも(入隊条件を)リサーチすることができたはずだ』と言われましたが、僕は8年間、日本の自衛隊で確固たる実績を積んでいたし、大丈夫だろうという気持ちがあったのです。でも、現実を知った結果、27歳でアメリカに来た僕にとって、(日本に帰国して)自衛隊に再入隊するには27歳という年齢制限があり、それをぎりぎり超えてしまうタイミングでした」。

当時、川口さんはカリフォルニア州アーバインでホームステイ先から語学学校に通っていた。ホストファミリーの子どもの相手を通じて幼児教育に興味を持つようになっていた彼は、米軍入隊志願から一転、カレッジで幼児教育を専攻することにしたのだと振り返る。

指導のモットーは「子どもたちのワクワクを引き出すこと」。

カレッジ終了後はOPT(カレッジ卒業後の実習ビザ)で、日系のモンテッソーリ学校に体育教師として採用された。その学校で「子どもの興味を引き出す」というモンテッソーリの教育方針に感銘を受け、モンテッソーリの教育機関に通って教師資格を取得し、体育だけでなくクラス担任も務めるようになった。学校のスポンサーで永住権も取得した頃には「自分の専門分野は教育」と、完全に方向転換していた。

「モンテッソーリの学校で子どもたちを教えるうちに、僕個人の考え方が180度変わりました。自衛隊にいた頃の僕は、自分の命がなくなっても大切な人のために国を守らなければ、と思っていました。しかし、命がなくなってしまったら、結果的に何もできない、誰のことも助けることなどできないのだということに、やっと気付いたのです。さらに、将来を担う子どもたちをいかに導くか、そのためにも自分の命が大事なのだということを今は実感しています」。


運動会を経験してほしい

川口さんにとってのこれまでの人生を区分すると、「自衛隊での任務に携わった期間と米軍入隊志願の期間」「幼児教育に大きく舵を切り、モンテッソーリの学校で子どもの教育に情熱を傾けた期間」に明確に分かれる。そして、2020年、次のフェイズに進むことになった。

「勤務していた学校で出会った幼稚園教諭の彩と結婚し、一緒に学校を辞めてビジネスを立ち上げたのです。自分で言うのはおかしいのですが、僕の体育のクラスは児童に大人気で、抽選で授業を受けられるかどうかが決まっているほどでした。僕はモンテッソーリの子どもたちの興味を引き出すことでやる気にさせるという方式で今も取り組んでいるのですが、(学校外の)もっと多くの子どもたちにも僕の体育の指導を受けてほしい、またアメリカではあまり活発ではない体育の授業、そしてその集大成である運動会をアメリカで広めていきたいと思うようになったのが独立の理由です」。

確かにアメリカの現地校では予算不足の理由から、アート、音楽、体育の授業はあまり充実していないという実情がある。

「日本の子どもたちは陸上、球技、体操、冬になったらマラソンと実に広範囲で多様な種目に体育の授業の中で経験を積みます。一方、アメリカの学校では、いろいろな種目に挑戦しないまま、いきなり中学高校の部活動で、各自の専門のスポーツに取り組むことになります。

ある6年生の男の子はアメリカンフットボールで活躍しているのに、マット運動をやらせようとすると、前回りができませんでした。どういうことなのかと言うと、やったことがないからできない、やってみて失敗するのが怖いからやろうとしない、ということでした。僕たちは、いきなり専門的なスポーツに進むのではなく、もっといろいろな種目を経験できる、日本の体育文化をアメリカの子どもたちにも経験してほしいと願っているのです」。

川口さんと妻の彩さんが立ち上げたH&A Learning Adventureは、学校のカリキュラムに合わせた体育の授業をコーディネートし、学校で実施したり、子どもをスポーツ施設に集めて指導したりする「教育のデリバリー」を活動の柱としている。前述のように日本式の運動会の開催や、子どもだけでなく、大人のエクササイズ指導、さらには自分がアメリカに来て生涯の目標を見つけたことから少しでも多くの人にアメリカで学んでほしいと、留学サポートの事業も立ち上げたそうだ。

最後に川口さんに、自身のアイデンティティーについて聞くと、「日本人です」と即答した後、取材終了後にメールで「大逆転の日本人、でお願いします」と連絡してきた。渡米の目的だった米軍入隊が果たせなかったけれど新しい道を見つけたことでキャリアを逆転させ、さらに価値観を大幅に逆転させた日本人ということだろう。


*H&A Learning Adventureホームページ

 

© 2024 Keiko Fukuda

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執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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