「日系(ニッケイ、Nikkei)」にかかわるさまざまなことを書いていこう、別のいい方をすれば「日系(ニッケイ、Nikkei)」をキーワードにいろいろなものごとに触れていこう、というのがコラムの主旨である。できるだけ話題の間口を広くとっておけばかきやすいだろう、という見方は正直あったのだが、はじめるにあたって、そもそも「日系(ニッケイ、Nikkei)」とはなにかということを考えておきたい。
そもそも本サイトもDiscover Nikkei(ディスカバー ニッケイ)という名称がついているくらいだから、「日系(ニッケイ、Nikkei)」がひとつのまとまった概念でいまや大きな意味を持っていることが想像できるが、サイトでは「ニッケイとは、日系、すなわち、世界中にコミュニティを作っている日本人移民とその子孫、『日系人』のことです」と記している。
つまり、ニッケイ=日系人という人間、という意味だといっている。そのうえで、「日系人」については、以下のように説明している。
「日系人」という用語は、状況、場所、環境などによって複数の多様な意味合いを持っています。日系人とは、他の人種の血が混じっていても自分を日系人であると認識している人も含みます。また、日本にいる日本人は日本から海外へ移住した人や日本へ戻ってきた彼らの子孫に対しても「日系」という言葉を使います。これらの日系人の多くは緊密なコミュニティを形成し、日本にいる日本人とは異なるアイデンティティを持っています。
「日系」はあるが「日系人」はない
これをみても明らかなように、「日系人」という言葉は、簡単には定義できないことがわかる。日系人や日系社会の研究における「日系」「日系人」の定義となるとさらに複雑なので、この点は後で触れるとして、言葉そのものの一般的な理解から考えてみたい。
まず、「日系」は日本語であり、「日本」と「系」から成り立っている言葉だ。漢字の「系」には、「つなぐ、つながる」という意味のほかに、「ちすじ、いえすじ」という意味がある。(角川漢和中辞典)。「系統」(血統と同じ意味)という言葉がそれを意味している。
次に手元にある辞書で「日系」をみると、「日本人の血統をひいていること。また、その人」(大辞林)とあり、使われ方として「日系米人」があげられている。広辞苑でも「日本人の血統をひいていること」とあり「日系アメリカ人」が例にある。
つまり、「日系」の言葉そのものには、「ちすじ(血統)」によって繋がっているという意味があるというのが一般的な解釈のようだ。だから、「日系人」は、日本人のちすじを引いている人のことをいうのだろうと思われる。しかし、辞書には「日系」はあっても「日系人」は出てこない。
辞書に載せるほど認知されていないと判断されたのか、いずれにしてもはっきりとした言葉としての定義は不明である。
日本人も日系人?
考えてみればこれは不思議なことで、移民や移住、日系アメリカ、日系ブラジルなど「日系」に関することを読んだり、調べたりすれば「日系人」という言葉に頻繁に出合う。つい先日も、新聞に「日系人」の文字が頻繁に登場した。
「日系人強制収容 バイデン氏『米国史の最も恥ずべき出来事の一つ』」(2月19日、『毎日新聞』)
という見出しの記事にあるように、太平洋戦争中の日系アメリカ人の収容政策から80周年が経ったことに関連したニュースのなかで、「日系人」ということばが何度も使われた。今回に限ったことではないが、戦時中の日系アメリカ人に関する記事には「日系人」が登場する。
収容所に入れられたのは、実際はほとんどが日本から移住した日本人(移民1世)と次の世代の2世である。2世はアメリカで生まれたので国籍的にはアメリカ人だ。したがって記事にある「日系人」は、日本人と、(日系の)アメリカ人をまとめて指すことになる。
しかし、「日本人」は「日系の人」と考えることはできても、「日系人」かといえば、たいていの日本人は自分たちとは違う人たちと思うはずだ。つまり日系人に日本人は含まれない。
だとすると、新聞記事にあるように収容されたのが「日系人」と言い表わすのは適当ではない。が、新聞や多くのメディアがこの種の記事の場合、アメリカにいる日本人も「日系人」でくくってしまっている。
私はいつも、戦時中の収容所に入れられた人を言い表わすのに、「日本人と日系人」とか、「日本人を祖先にもつ人たち」ということにしている。
言葉本来の意味からすれば、こうするしかないのだが、新聞の方は、日本にルーツはあっても、もはやアメリカという異国に根を張って暮らしている人は「日系(人)」と呼んでいいのだろうと考えているのではないかと思える。
新たなニッケイ感
だいぶややこしくなってきたが、「日系」、「日系人」については、本サイトのなかで海外移住資料館の小嶋茂氏が、研究者としての立場から「日系人とは誰のこと?」( 2017年4月21日)を書いている。
記事によれば、歴史的に「日系人」という表現は、戦前の出版物には見当たらず、戦後になって海外の日系社会、そして日本で「日系人」が使われるようになったという。また、「日系人」という定義はいわば日本人の側から見た定義だという。なるほど、先の新聞記事にある「日系人」という言葉の使い方も、日本側による一方的なものだという気がする。
こうした日本側からの見方とは別に、海外の日系のコミュティーでは、日系について独自の考え方が出てきていることを、記事は紹介している。
2000年および2001年に日系人自身が主催した会議(Nikkei 2000, COPANI 2001)で議論されたnikkeiという言葉の定義が、血統に関わらず個人の意識を重視しているという。血統(ちすじ)にかかわらず、「日系(nikkei)のコミュニティーに深くかかわって人、自分が日系だと思っている人もまた日系(nikkei)である」という動きだと小嶋氏は言う。
言葉本来の意味から出発して、「日系とはなにか」を探ろうとしたら迷路に入り込みそうになってしまった。しかし、だかこそ奥が深いというか、広がりもまたある。
次回から具体的に、さまざまな「日系(ニッケイ、Nikkei)」に触れてみたい。
© 2022 Ryusuke Kawai