第7回 「南部加州の日系人 ~ その3」を読む >>
1000人以上にのぼる個人史が集積
米國日系人百年史は、第二篇で各州における日系人の足跡を追っていて、そのなかでカリフォルニア州が約半分を占めている。一方の足跡については各州、各地域ともページのほとんどを数多くの日系人の個人と一部団体の紹介で埋めている。
その数は、1000人以上にのぼる。実際にどのような形でこうした情報を集めたのかは不明だが、編集責任者の加藤新一氏が直接インタビューなどに走り回ったことは記録に残っている。
南カリフォルニアでも100ページほどをこうした個人などの紹介にあてている。そのスタイルはほぼ決まっている。
「職業など肩書き」、「氏名(日本語とローマ字表記)」、「日本での出身県」、「アメリカでの住所」が列記される。そして、本文では、出身地と生年月日と両親の名前と家族構成からはじまり、何年に日本から何を目的にアメリカに渡ったのか、あるいはどういういきさつでアメリカにやってきたのかを記す。
日本の出身なども細かく記す
ほとんどが日本生まれの一世であり、当時の日本の細かな町村名や場合によっては字名まで載せている。百年史が書かれた1960年ごろに居を構えているのがカリフォルニアであっても、アメリカの土を踏んでからはたいていが仕事の関係で移動を重ねて来たようで、その歴史もかいつまんで紹介されている。
当然、戦争を挟んでの歴史であり、立ち退きや収容所への移動、そして戦後の再出発という、時代も個人も激しく揺れ動く中での半生である。人によって1ページを費やしていたり、半ページまたは4分の1ページを割いている。たいていは正装をして家族と一緒や夫婦、個人での写真がついている。
「南部加州の日系人」の章では、地域別には「ロスアンゼルス郡( Los Angels County)」、「オレンジ郡(Orange County)」、「サンデーゴ郡(San Diego County)」、「インペリアル郡(Imperial County)」、「リバサイド郡(Riverside County)」、「サンバナデノ郡(San Bernardino County)」、「ベンチュラ郡(Ventura County)」、「サンタババラ郡(Santa Barbara County)」、「サンルイスオビスポ郡(San Luis Obispo County)」の9郡にわけてその地域の日系人を紹介している。
このなかから、個人の紹介例として何人かについて、元の記事を一部採録しながら紹介したい。
多くの日系人の職業として、造園、庭園、花園という農業、園芸技術を生かしたものが目立つなかで、サンフェルナンドの「花園業 遠藤為吉氏」は、1888年に静岡県清水市三保町に生まれ、「海外雄飛の志を抱いて1907年1月まずメキシコへ渡り、合衆国に入ってコロラド州に至り、当時農園を経営していたラス・マリアスの伯父や兄を頼り、農園労働に従事」。
このあと一時帰国して結婚、妻をつれて戻り花園業を始める。戦時中は自由立ち退きをし、ユタ州の従兄弟とオクデン近郊に移った。
日露戦争従軍者や金魚養殖事業で成功者も
「ガーデナ平原の元老」という肩書がついた木島偆一氏は、「1881年広島県豊田郡忠海町生まれ、1902年12月広島の歩兵第11連隊に入営、1904年日露戦争に出征、遼東半島に上陸、北へ向けて進軍し、奉天を経て鉄嶺まで遠征、その間二ヵ年、勲功により軍曹に昇任、勲八等功七級に叙せられた日露戦争の勇士である」。
帰国後1907年にシアトルに渡って働いたのちにカリフォルニアに移動、しばらくして養鶏業をはじめた。1925年9月に所有する土地から石油が出た。戦後になるとこの油井から天然ガスが出たという。木島氏のように数は少ないが日露戦争従軍者も記事には登場する。
オレンジ郡の秋山清美、秋山清三夫妻は「金魚養殖業の元祖」と紹介されている。1888年長野県南安曇郡有明村の生まれの清美氏は18歳で渡米、シアトルから入りやがてオレンジ郡に落ち着き、セロリ耕作に従事した。その後「日本特産の金魚養殖の有望性に着眼、農園の一部に飼育し副業的に続けるうち、1923年の加州排日土地法実施を動機に農業を断念、積極的に金魚養殖に踏み切った」。
幾多の困難はあったものの戦前にはシカゴ以西最大の金魚園にまで発展させ、戦争を挟んでも事業を再開、また所有する土地ではレタス耕作が行われている。
移民後の苦労話も随所に織り込まれている。サンルイスオビスポ郡の農業、猿渡金蔵氏(熊本県出身)の場合は、移民としては珍しく妻を伴って1903年にハワイに渡航、サトウキビ畑で働いた。その後本土へ渡り薪割りや農園の仕事をした。「当時の労働賃金は、10時間働いて1ドルから1ドル25セントという低いもので、食物は米穀がないため、塩味だけのダンゴ汁をすするという粗末なものであった」。
以上、紹介したのはほんの一部だが、こと細かく個人について渡米から60年ごろまでの足跡がまとめられている。
(注:引用はできる限り原文のまま行いましたが、一部修正しています。また、地名については「百年史」にある表し方を基本としました。)
© 2014 Ryusuke Kawai