ずらり並んだ日本酒の瓶。ここ数年の日本酒ブームでどこのスーパーの酒類売り場でもずいぶんと銘柄が増えたものだが、この店ではビンについた値札がすべてドル($)表示。といっても免税店ではない。
同じく、納豆、豆腐はもちろんのこと、どら焼きも大福などの和菓子もドル表示。そして、総菜コーナーには海苔巻きから太巻き、各種弁当も並ぶが、これらもみんな“ドル”だ。
一方、精肉コーナーに行くと大きな肉の塊が並び、氷の上にのった鮮魚は、並べ方も切り身もスケールがでかく、こちらは日本離れしているのでドルでも自然だ。
ここはアメリカ西海岸、ワシントン州の都市シアトルのスーパー、「Uwajimaya」(宇和島屋)の店内だ。メジャーリーグのマリナーズの本拠地、SAFECO FIELD(セーフコ・フィールド)の球場や、まちのシンボルともいえるキング駅の時計台も近くに見える新旧一体、少々雑多といえる地域のなかに位置する。
海外に長期滞在したり、そこで暮らすとなればなにより恋しくなるものの1つが、日本の食べ物。宇和島屋はそんな渇望を癒やしてくれる“オアシス”として、古い日系移民の町シアトルに誕生したが、いまでは日本食材を売り物にしながらも誰からも親しまれるスーパーとして現地で存在感を示している。
かつての日本町から宇和島屋ビレッジへ
インターナショナル・ディストリクト(ID)と呼ばれるこの一帯は、戦前に日本町(日本人街)と呼ばれた、日本からの移住者たちがつくったまちと一部重なっている。
かつての日本町は、永井荷風が『あめりか物語』(明治41年)の中で描いているように、東京の繁華街のようなにぎわいを見せていた。
それが戦争で解体し、いまでは“和風”なものはチャイナタウンとも呼ばれるこの地域にあって、“中華”に圧されながら居酒屋や寿司レストランなどとして残っている。しかし宇和島屋に限っては、「日系の歴史ここにあり」といわんばかりに威容を誇っている。
現在あるUwajimaya Village(宇和島屋ビレッジ)と呼ばれる建物は、2000年に6万6000 square feet(約1840坪)の敷地をもって出現した。もともとあった瓦屋根をあしらった日本風の建物から移転しての新店舗だ。
日本食品を中心とするスーパーである宇和島屋のほかに、紀伊國屋書店や日本のとんこつラーメン店や現地の銀行など、いくつかのテナントが入っている。
現在、この宇和島屋は、ワシントン州ではシアトル市内をはじめ、シアトル近郊で日本人駐在員などが暮らすべルビューというニュータウン的なまちや、同じシアトル近郊のまちレントンにも出店している。
また、南隣のオレゴン州のビーバートンでも1998年に紀伊國屋書店とのパートナーシップで開店している。
数少ない日系資本のなかで大健闘
いまや寿司を中心に日本食は世界中で広がり、全米でもどこの都市へ行ってもたいてい寿司バーが見られるようになった。しかし、それに比例して日系資本のレストランやスーパーが広がっているのかといえばそうではないようだ。
かつてニュージャージーなどに出店した日本のヤオハンは撤退。
そのあとを受け継いでできたミツワ・マーケット・プレイスが、同じく日本食材を中心とするスーパーとしてカリフォルニアなどで店舗を展開するなど日本食のスーパーはほかにもあるが、戦前に始まってアメリカ社会に溶け込み事業を拡大、ここまで成功したのは宇和島屋が代表例だろう。
1962年には約30万ドルだった売り上げは近年では約1億ドルになっている。ほぼ継続して右肩上がりの伸びを示してきた。
「成功したといっても、まだあちこちにあるわけじゃないからね」と、謙虚に語るのは、宇和島屋の会長、トミオ・モリグチ(75)だ。
現在のCEOは彼の妹のトモコ・モリグチ・マツノだが、父親の森口富士松と妻の貞子が始めた小さな食品店を今日まで発展させたのはモリグチ会長の力によるところ大である。
ファミリーの結束と会長の積極策が奏功
成功の鍵はいくつもあったが、基本は創業の森口夫妻とそれを支えた子供たちのファミリーの結束。つぎに、戦後の比較的早い時期から日本人だけを顧客の対象とせずに、アジア系アメリカ人や白人も対象として、バランスよく日本の食材を中心に品揃えをしたことである。
さらに、業績が上がるとともにいち早く拡張のための用地を買収するといった拡大戦略にある。戦前に形成された日本人街が、戦争によって解体し戦後を迎えてからは、車での移動が前提となることを見越して、広い敷地を確保し、まずは日系人顧客の便を図った。
森口夫妻には4男3女の7人の子供がいるが、このうち1人を除いて全員が宇和島屋のビジネスに携わっている。
その1人もクリスマスシーズンには手伝いに来るし、リタイアしたトミオの兄、長男のケンゾウ・モリグチ(78)は、いまも毎週シニアデーの火曜日にはレジに立って顧客と触れ合う。
地元の日系コミュニティーからの馴染みのお客が来ると、まるで個人商店のように挨拶を交わす。
ファミリー経営は馴れ合いになる恐れもあるが、モリグチ家ではトミオのリーダーシップのもと適材適所を図ることでそれぞれが力を発揮している。近い将来は後継者を若いファミリーのなかから選出していく予定だ。
現在の宇和島屋ビレッジに移転するときは、用地の買収を積極的に働きかけたことで実現できた。これらはモリグチ会長の采配による。
「トミオはとてもシャープ(頭が切れる)で、不動産のことにも精通していた。トミオがいなかったらここまでこなかった」と、ケンゾウは話す。
* 本稿は、JB Press (Japan Business Press - 日本ビジネスプレス)(2012年7月30日掲載)からの転載です。
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