ディスカバー・ニッケイ

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サンフランシスコのCWRIC(戦時市民転住収容に関する委員会)公聴会での悲痛な話(英語)

(英語)最も印象深かったのは、複数の一世女性が証言をするためにバスに乗せられて来た時のことです。全員が日本語で、個人的な体験、つまり自分たちに何が起きたかを話しました。今でも思い出される話があり、それは僕の記憶の中に鮮明に残っています。

その人は、FBIが夫を連れ去ったと言いました。夫は、その時まだ畑仕事をしていました。FBIは、夫が家に戻るまで待ち、彼が夕食をとることも服を着替えることも許しませんでした。FBIはそのまま夫を連れて行き、居場所がわからないまま、見つけるまで2日ほどかかりました。彼は、サンホゼの地元の刑務所に収容されていました。彼女が刑務所に行くと、守衛は日本語を話すことを禁じ、英語しか話してはいけないと言いました。でも、彼女はほとんど英語ができませんでした。2人の子供たちを一緒に連れて行きましたが、幼い子供たちには通訳はできず、ほとんどジェスチャーでコミュニケーションをとり、夫が欲しいのは着替えだということがやっと分かりました。そして彼女は、服を取りに家に戻りました。その時、夫はまだブーツのままでした。彼女は、着替えを持って刑務所に戻りましたが、着いた時には夫はもう居なくなっていました。その後、彼がどこに連れて行かれたのか、しばらく分らなかったと彼女は言いました。最終的に、彼は、モンタナ州ミズーラ周辺の強制収容所に送られていました。しかし、彼女が夫の居場所を突き止めたのは、その何ヶ月も、何ヶ月も後のことだったのです。


公聴会 市民の戦時民間人強制立ち退き・収容に関する委員会

日付: 1998年7月1・2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ミッチェル・マキ、ダーシー・イキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

クリフォード・ウエダ氏は、1917年1月14日、ワシントン州オリンピアの牡蠣養殖業者の家庭に生まれました。1941年から1945年にかけてウィスコンシン大学で学び、その後、ルイジアナ州ニューオーリンズのチュレーン大学医学部に進学しました。ウエダ氏は、カリフォルニア州サンフランシスコで医師となりました。

ウエダ氏が日系アメリカ人市民同盟で活動を始めたのは、1960年にサンフランシスコ支部で一世のオーラル・ヒストリー・プロジェクトの座長を務めたことがきっかけでした。ウエダ氏は、サンフランシスコ州立大学でエスニック・スタディーズの専門学部の立ち上げに貢献した他、「東京ローズ」として知られるアイバ・トグリ氏が、大統領恩赦を得てアメリカ国籍を回復するための支援者のひとりとして、重要な役割を果たしました。

1975年、医師を引退したウエダ氏は、フルタイムの活動家に転身しました。1977年、ウエダ氏は、全米JACLの代表として日系人強制収容に対する賠償運動に参加し、1978年から1980にはJACL会長となりました。様々な役割を通してコミュニティに貢献してきたウエダ氏は、2004年、84歳で癌のため亡くなりました。(2008年4月11日)

ジェームス・ヒラバヤシ

10代での収容所生活 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ロバート・カタヤマ

日記をつけるように命令され、後にFBIへ押収(英語)

第2次大戦中に第442連隊に所属していたハワイの二世

ユリ・コチヤマ

白人と同じ権利を求めて(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

立ち退き命令を知らないカリフォルニア人(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

集合センターの状況(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

E・スタンリー・ジョーンズによる集合センターの訪問(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

隠蔽されたキャンプでの出来事(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

仕事熱心な一世(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

逮捕された父(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

収容所のポジティブな側面(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

竹下幸男

JACLとの関わり(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

グレース・ウエハラ

収容所の補償運動の達成と教育(英語)

(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。

ロイ・H・マツモト

集合センターでの職探し(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

パインデール集合センターでの生活状況(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)