ディスカバー・ニッケイ

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ブラジルでの50数年間を振り返って思うこと

私がブラジルに来たのは、まぁ二十歳そこそこ。それで、それから勘定すると50何年ブラジルにいて、一本の道しか歩いていないので、この道を歩いてきたことに対して少しの後悔もない。それは経済的な面から言ったら、もっと有利なことがあったと思うんですけども、とにかく自分の好きなことを50何年か過ごしてきたってことは幸福だったと思う。もしもこれが、また昔に戻ってもう一度お前がやれというようなことがあれば、これは今までの失敗を基礎にして、今度は改良してもっといいことをやりたいとこう思うわけなんです。


ブラジル 移住 (immigration)

日付:

場所: ブラジル

提供: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.

語り手のプロフィール

二木秀人氏は1911年7月に長野県に生まれました。1932年に「モンテビデオ丸」にて渡伯、1936年にSorocabanaの学校へ入学しました。1937年から42年にかけては大正学校の先生として勤務、閉校後も教師としての仕事を続けました。1946年には、力行会と共にサンパウロ学生会を設立。1953年にはハーモニー学生寮の創設にも貢献し、以来そこで27年間勤務しました。二木氏の功績は認められ、日本政府から勲五等瑞宝章を、ブラジルにおいては、São Bernardo do Campo名誉市民の称号があたれられました。 (1998年)

エンセン・井上

渡日の理由(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

エミ・笠松

大戦中の日系パラグアイ人の扱われ方(スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

ビル・ハシズメ

カナダの呼び寄せシステム(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

ビル・ハシズメ

1954年にカナダへ帰国した理由(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

飯野正子

一世女性とのインタビューを通して感じたこと

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

ロベルト・ヒロセ

ラテンアメリカにおける日系人の多様性(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

高木一臣

彼をアルゼンチンに留まらせたタンゴ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンへの渡航(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

外間良広

移住当初、言葉で苦労

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

ルイス・ヤマダ

戦後、アルゼンチン定住を決意(スペイン語)

二世日系アルゼンチン人 (1929年生)

ルイス・ヤマダ

戦後アルゼンチンに戻る(スペイン語)

二世日系アルゼンチン人 (1929年生)

ドリス・モロミサト

移民の苦労神話(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

カズム・ナガヌマ

月に一度入国管理局にチェックインする

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)