ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/891/

米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)

(英語) 僕の妻は、実はアメリカ国籍を持っているんです。彼女はボストン生まれで、当時、義父はボストンで教鞭をとっていました。フルブライトの奨学金を受けて、勉強しながら教えていたそうです。確か、そんな話だったと思います。妻はその頃生まれたので、自動的にアメリカ国籍が与えられた訳です。しかしながら妻の家族は、生後1年して日本へ戻りました。彼女が小学生になると、一家はまたアメリカに1年間滞在し、義父はスタンフォードで教鞭をとりました。彼女もアメリカの小学校に1年間通ったそうです。妻は、自分の国籍を意識していたので、英語の勉強を継続すべきだと常に感じていたようで、帰国後も近所の教会などの英会話クラスで英語の勉強をしていました。そのようにして、常に英語を話す環境に身を置いていたようです。


市民権 Finding Home(映画) 言語

日付: 2003年11月11日

場所: 日本、京都府

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

ピーター・ミズキ氏は、ワシントン州シアトルで生まれ育った日系三世です。子供の頃、家族の木材業を手伝いながら日本の武道である剣道を習いました。そしてワシントン大学に在学中に、剣道クラブの創立メンバーとなります。(その後)日本文化への興味が増し、日本語と剣道を学ぶために文化ビザで日本に渡りました。そして京都で現在の妻に出会い、2人の息子を授かりました。ミズキ氏は日本の永住権を取得し、現在も剣道の稽古に励み、非常勤講師として大学で英語を教えています。このインタビューでミズキ氏は、日本に住む日系アメリカ人が経験したこと、日本社会に受け入れられるまでの苦労などにについて語ります。 (2005年)

高木一臣

スペイン語の学習(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

松原由美

アメリカの市民権を取った理由

岐阜県出身新一世。 最近アメリカ市民権を取得。

クリフォード・ウエダ

日本語学校(英語)

政治活動家 (1917 - 2004)

ヘンリー・須藤

無我夢中で頑張った戦後

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

天野美代子

日本語とスペイン語両方を使って生活

天野博物館館長 (1929年生)

ジミー・ムラカミ

日本で英語を教える(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

サワコ・アシザワ・ウチムラ

いくつかの生い立ちを持ったユニークなアイデンティティ(英語)

フィリピン生まれの引揚者、後にアメリカに移民(1938年生)

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

隣人の庭で日本語学校を始めた母(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ホリー・J・フジエ

日本語を教えるよう圧力を受けた祖父(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事