https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/888/
太鼓・尺八奏者(1944生)
(英語) 僕は、「日系アメリカ人」と言う概念は急速に古くなってきていると思うんですよ。必ずしもそうとは言えないかもしれませんけど、でも僕らは常に視野を広くしていなければならないと本当に思います。
例えば太鼓を引き合いに出しますけど、太鼓は日系人の音楽としてスタートしましたが、今はもうその枠組みの中に留まっていませんよね。太鼓は日系の枠を超え、芸術として捉えられています。日系アメリカ人の太鼓ではないのです。僕らが太鼓を始めた初期の頃は、日系-アメリカ人-太鼓」というように、しょっちゅう言葉をハイフンでつなぎ合わせていて、「日系-アメリカ人-仏教徒太鼓」と呼んでいました。単語を細かく区切ってたくさんハイフンを付けていたんですね。 当時マスは、「ハイフンを付けるのは重要なことだ」と言っていて、それは太鼓の拍子の間のようなものです。初期の頃は、コンガや似たような打楽器と区別する意味で呼び名は重要だったのかもしれませんね。
でも今では太鼓は現代の打楽器奏者にとってドラムセットの一部になっているんです。太鼓の他に木片も使われているんですよ。そして太鼓は一般的な音楽用語として通るようになりました。琴もいい例で、たくさんのシンセサイザー用語がある中で、「琴」 もその一つとして使われているんです。テリヤキもそうですしね。みんなテリヤキがどういうものか知っているし、スシだってそうですよね。太鼓も同じように認知されてくると、太鼓が持つ日系の固有性は失われ、時代性もなくなる訳です。そういう意味で、その言葉の持つ意味も失われるんですね。太鼓もそうなる運命にあると思います。そしてそれは素晴らしいことなんです。
日付: 2004年12月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
太鼓及び笛奏者として有名なジョージ・アベ氏は、1944年マンザナー強制収容所で生まれました。戦後家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルスに再移住したのはアベ氏が1歳の時でした。帰米であるアベ氏の母は、カリフォルニア州オレンジ市で生まれ9歳で日本へ行き、26歳でロサンゼルスに戻りました。アベ氏の父は一世です。
アベ氏はアーティストやミュージシャンのいる環境で育ち、母親と共に琵琶のリサイタルにも参加しました。学校のバンド活動でもクラリネット、サックス、オーボエなど様々な楽器を演奏しました。アベ氏の音楽への興味はその後絶えることなく、尺八や笛といった伝統的な日本の管楽器の演奏を学びました。
アベ氏はロサンゼルスの洗心仏教寺を拠点として活動する緊那羅(きんなら)太鼓の創設メンバーの1人であり、今日に至るまでグループと活動を共にしています。緊那羅太鼓は、北アメリカで結成された最初の太鼓グループの1つであり、田中誠一先生率いるサンフランシスコ太鼓道場の次に設立された2番目のグループです。アベ氏は芸術の影響力と太鼓が人々に与える活力を確かなものとして捉え、彼自身の芸術性を文化、精神そして共同体への意識啓発に役立てています。(2004年12月10日)
アイデンティティ・クライシス(スペイン語)
(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長
家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)
演歌歌手(1981年生)
日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)
日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)
日本へ行くこと(英語)
アメリカ人になろうとした結果(英語)
研究者、活動家(1924-2018年)
歌詞の意味を伝えたい(英語)
ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
伝統からの脱却(英語)
東海岸とロサンゼルスの違い(英語)
在日日系アメリカ人デザイナー
アメリカで太鼓を始めた理由(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
タイア道場(英語)
日本の音楽教育(英語)
アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)
MISで出会った本土からの日系人(英語)
弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)
夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)