https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/843/
医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)
(英語)父が政府から受け取った小切手の金額は覚えていませんが、何人かほかの例は知っています。ショウジ軍曹という人がいて、彼は西海岸に住み、野菜園を経営していました。第1次世界大戦当時、日本は(カナダと)連合国で、彼はカナダ軍の軍曹として従軍しました。そして終戦を迎える頃、彼が戻ると政府は、ブリティッシュ・コロンビア州本土の下方地域の土地を買うことを認めたんです。彼は33エーカー(約13ヘクタール)の土地を得、それを野菜園にしてビジネスを始めました。 しかし、(第2時世界大戦中)政府はその土地を彼から取り上げて売り払い、結果的に彼は政府から小切手を受け取ったんです。小切手の金額は、よく覚えていませんが、72ドル50セントか、その程度の金額だったんです。馬鹿げた額ですよ。そして彼は政府に手紙を書き、小切手を換金しませんでした。彼は手紙に、「私の今までの働きを知っているのか。私はカナダのために戦ってきた。私の今までの労力は72ドル50セント程度に置き換えられるものではない」というようなことを書いたんです。「あなた方は勝手にそう判断すればいいが、これでは何の価値もないじゃないか。小切手は受け取らない。」とね。彼が未だに小切手を持っているのか分かりませんが、もし持っていれば、それはとてもいいことだと思いますよ。官僚がどんな風に考えているかの証明になりますからね。 とにかく彼の例で分かるように、売られた財産に対して支払われた金額は本当に微々たるものでしたし、結果的に日系人が手にしたものは全く割に合わない額でしたよ。結局、それがあまりに酷かったので、バード委員会が立ち上げられ、すべてをもう一度見直すことになったんです。結果、委員会は、「政府は間違いを犯し、我々の財産を安すぎる金額で売り払い、それによって多くの人が何百万ドルも手にしている。」と認識したんです。僕の父が受け取った金額はそれより少し高く、もう数千ドル(数10万円)はありましたが、それでもそんなに支払われた訳ではありません。
日付: 2006年7月25・26日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: トム・イケダ
提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.
ヘンリー・シミズ氏は、1928年ブリティッシュ・コロンビア州プリンス・ルパートで生まれました。第二次大戦中シミズ氏は、ニュー・デンバーに強制収容され、終戦後、現在の居住地であるエドモントンへ移り住みました。医学部を卒業したシミズ氏は、整形外科医となり、その後、医療関係の数々の要職を務めました。また、1989年から2002年には、日系カナダ人リドレス基金の会長を務めました。画家でもあるシミズ氏は、強制収容所の体験を題材にした数多くの作品を手掛け、それらの作品は、様々な場所で展示されています。シミズ氏のコミュニティへの貢献は高い評価を受け、1999年全カナダ日系人協会より表彰を受けました。また、2004年には、アルバータ大学の卒業生に贈られる賞を受賞し、同年、カナダ勲章を受勲しました。(2006年7月6日)
アイデンティティ・クライシス(スペイン語)
(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長
日本ではアメリカ人として、アメリカでは日本人として踊る (英語)
日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)
政治権力の欠如が収容所の一因(英語)
研究者、活動家(1924-2018年)
囚人のように思えた収容所生活(英語)
ニューヨーク市の日本人に対する戦争ヒステリア(英語)
Asian Americans for Actionへ参加してよかったこと(英語)
人種ゆえにより説得力を持った証言(英語)
元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)
東海岸とロサンゼルスの違い(英語)
在日日系アメリカ人デザイナー
敵性外国人とみなされた日系アメリカ人兵士(英語)
弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)
共感することが難しかった本土の日系人の体験(英語)
戦後の差別(英語)
Kobayashi Group LLCの.創設者 (1944年生)
本土におけるハワイの情報不足(英語)
地元新聞紙による日系人への誤った解釈に対しての十代の頃の記憶(英語)
徴兵忌避者(1925年生)
世論に影響を与えるメディアの役割(英語)
徴兵拒否により服役した刑務所での生活環境 (英語)