ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/825/

アメリカの市民権を取った理由

私のレイジネス(怠惰)からくるものです。で、グリーンカード(永住権)でずっといてもよかったんですけれども、グリーンカードも結局エクスパイア(有効期限)がきて、その都度書き換えるってことが私、面倒くさくて、シチズンシップ (市民権)を一回取ってしまえば、一回で終わるから、簡単で済むんじゃかと思ったんです。私の国籍が日本であろうと、アメリカであろうと、別にどちらかのパスポートとも持っていたら、私は別に日本人だから、アメリカ人だからっていうんじゃなくて、何かエマージェンシー (緊急)の時に両親に会わなきゃいけない時に、どっちかのパスポートがあったら、私はそれで満足です。で、自分は、私は、この国にもう家もあるし、アメリカ人の主人もいるし、自分が帰るっていうとこがもう見えなくて。ただアメリカ人になったから、自分はすごくプラウド(誇り)に思うとか、よかったとか、そうじゃなくて、自分がグリーンカードの書き換えをするのが面倒くさかったから、シチズンシップを取ったんです。そうなんです。それがほんとなんです。


市民権 グリーンカード 身分証明書 アイデンティティ 非市民

日付: 2007年3月1日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

松原由美氏は岐阜県岐阜市出身です。日本の保守的な家庭に育ったという松原氏は、1992年3月末、親に内緒で英語上達の目的にて渡米しました。英語学校へ数ヶ月通った後、日本の短大で美術を専攻していたこともあり、ロサンゼルスのFashion Institute of Design & Merchandising(FIDM)へ進学し、ファッションを学びました。1994年にFIDM卒業後、ファッション関連の企業へ就職しました。

この頃より、少しづつアメリカ永住を考えるようになり、就職先の会社からグリンカード(アメリカ永住権)をサポートしてもらうことになりました。しかし、1999年会社が経営不振に陥り、永住権を取得する前に退社。永住権のことなどもあり、同年11月その頃知り合ったアメリカ人男性との結婚を2週間で決意しました。2001年5月、念願のグリンカードを取得し、2006年12月にアメリカ市民権を取得しました。現在も、ロサンゼルスにてファッション関係のビジネスに携わり、グレーダー1やスペックライター2として活躍しています。 (2007年3月1日)

1.グレーダー: 標準サイズのパターンをもとに、各種のサイズに展開させるための型紙製作を専門的に行う職業。
2.スペックライター: 各商品の詳細(デザイン、サイズ、細かい仕様など)の標準値を表に記す作業を専門的に行う職業。

ミシェル・ヤマシロ

沖縄文化の理解(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

共感する米国的な価値観(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ファン・アルベルト・松本

エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。