ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/743/

日本庭園にその土地の植物を採用(英語)

(英語)日本庭園の話をしましたが、日本の景観は、紙の上でもフリーハンドで描かれます。どんな庭園にしたいのか、日の当たる角度はどうなのか、どのようなグラウンドカバー(地表を覆うために植栽する草丈の低い植物)を使うか、どんな盆栽を置きたいか、それとも、ツツジまたはヤマツツジを植えるのか、(日本庭園を造るために)知る必要があります。また、ヤマツツジは、南カリフォルニアでは育たないことも知っておかなければなりません。ヤマツツジには、蕾の頃から寒冷気候が適しています。

シャクヤクも同様に寒冷気候を好みます。 シャクヤクやヤマツツジの代わりに椿を使う場合、ふんわりした見た目にするためには剪定する必要があります。そうすれば、大きく花をつけてくれます。椿の密度を高くすると、たくさんの小さな蕾をつけますが、花は小さく咲きます。継続的に剪定し、蕾を増やし過ぎず、いくつかのきれいな蕾のみにしておけば、きれいな椿の木を育てることができます。ツツジと同じですね。上手く剪定すれば、豊かな花をつける木になるでしょう。

それから、生垣用刈り込み機を使うと、花まで刈り取ってしまうことになります。でも、剪定方法が分かっていれば、蕾の先の方で花を咲かせ、見事な開花を見ることができるでしょう。

カリフォルニアで日本庭園を造るには、植物を代用しなければなりません。でも、そのほとんどは、日本でも使われている植物です。杜松(ネズ)、ツツジ、黒松、などですね。ヤマツツジとシャクヤクには、椿を代用します。混合色の椿で、白と赤、ピンクと白などの2色の花びらがつき、中心が黄色のものです。剪定を上手くやれば、綺麗に花を咲かせることができます。直径4インチ(約10cm)ほどの花になるはずです。


ガーデニング 庭師 植物 農業 造園 (landscape gardening)

日付: 2005年12月1日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ダニエル・リー

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ルー・キタシマ氏は、ロサンゼルス出身の日系三世の庭師です。子供の頃、第2次世界大戦中に、家族と共にアリゾナ州ヒラ・リバーの収容所へ収容されました。そして戦後再び、父親が庭師として働いていたロサンゼルスに戻りました。若い頃は、空軍の戦略空軍司令部としてイギリスに駐在し、イギリス人女性と出会い結婚しました。そして任務が終了した後、キタシマ氏は妻と3人の子供と共にアメリカに帰国しました。

帰国後は、造園業に従事し、ロッド・スチュアート、シルベスター・スタローン、アン・マーガレットなど有名人から仕事を受け、「スターご用達の庭師」として知られるようになりました。その後、家族とイギリスに渡り造園業を始めますが、のちに家族をイギリスに残してアメリカに戻りました。

キタシマ氏はロサンゼルスで造園業を再開し、2003年に引退するまでの17年間、ウエスト・ロサンゼルス・カレッジの庭師の責任者を務めました。そして今でも、活動的でいるためにと顧客を何人か持ち、働き続けています。(2007年7月7日)

マサオ・コダニ

日系アメリカ人の庭師ダンス(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マーガレット・オダ

夫の洋ラン農園を継承(英語)

(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世

ジョン・ナカ

盆栽哲学(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ジョン・ナカ

盆栽と油絵(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ジョン・ナカ

土地にあった盆栽作り(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ジョン・ナカ

盆栽技術へのチャレンジ(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ハルノリ・オダ

造園業から園芸場経営へ(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ジミー・コウ・フクハラ

除隊と種苗業の再開(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

高塩 明

ボーディングハウスでの荒れた生活

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長