ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/740/

英国で日本庭園をデザイン(英語)

(英語)イギリスに住んでいた時、ある大男の植木屋が私を見つけて連絡してきました。彼の園芸場に、日本庭園を造ってほしいとのことでした。そこは、広くて素晴らしい場所でした。細長い造りではありましたが、3か所から水が流れていました。水が引かれていたのです。日本庭園はフリーハンドのデザインなので、測定はされず、常に目測です。端の方を見て、そこからここまで、とか、そこまで、という風にデザインします。私は、日本風の橋を渡し、茶室、3つの滝のある池を作り、庭園をデザインしました。

でも、庭園に必要な石はありませんでした。通常は、みかげ石を使いますが、石の中では固い方ですね、イギリスにあるのは砂岩のようなもので、もろく、最終的に消えてなくなってしまいます。それで私たちは、コンクリートに色付けして代用することにしました。コンクリートで石を作ったのです。だいぶ時間のかかる作業でしたね。

昨年孫に会うためにイギリスへ行ったのですが、景観は健在です。娘は、「庭を見に行かないの?」と言いましたが、私は、「行かなくてもいいよ」と答えました。今では灌木も全て落ち着いています。オーナーには、「松の丸太を使う時には、表面を少し荒く加工し、ガスバーナーを使って焦がして下さい。でも木を焼きすぎないように、薄く傷をつける程度で。そしてラッカーでコーティングして下さい」と伝えました。こうすれば、古木のような見た目になります。オーナーはその通りにしてくれました。庭園は今でも健在です。


農業 イングランド 庭師 ガーデニング 造園 (landscape gardening) イギリス

日付: 2005年12月1日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ダニエル・リー

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ルー・キタシマ氏は、ロサンゼルス出身の日系三世の庭師です。子供の頃、第2次世界大戦中に、家族と共にアリゾナ州ヒラ・リバーの収容所へ収容されました。そして戦後再び、父親が庭師として働いていたロサンゼルスに戻りました。若い頃は、空軍の戦略空軍司令部としてイギリスに駐在し、イギリス人女性と出会い結婚しました。そして任務が終了した後、キタシマ氏は妻と3人の子供と共にアメリカに帰国しました。

帰国後は、造園業に従事し、ロッド・スチュアート、シルベスター・スタローン、アン・マーガレットなど有名人から仕事を受け、「スターご用達の庭師」として知られるようになりました。その後、家族とイギリスに渡り造園業を始めますが、のちに家族をイギリスに残してアメリカに戻りました。

キタシマ氏はロサンゼルスで造園業を再開し、2003年に引退するまでの17年間、ウエスト・ロサンゼルス・カレッジの庭師の責任者を務めました。そして今でも、活動的でいるためにと顧客を何人か持ち、働き続けています。(2007年7月7日)

マサオ・コダニ

日系アメリカ人の庭師ダンス(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

PJ・ヒラバヤシ

イギリスの太鼓グループ:グローバル太鼓コミュニティの形成(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ジョン・ナカ

盆栽哲学(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ジョン・ナカ

盆栽と油絵(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ジョン・ナカ

土地にあった盆栽作り(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ジョン・ナカ

盆栽技術へのチャレンジ(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ハルノリ・オダ

造園業から園芸場経営へ(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

高塩 明

ボーディングハウスでの荒れた生活

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長