(英語)戦後、私たちはロサンゼルスへ移り住み、父は庭師の仕事を始めました。その頃、ロサンゼルスに戻り、庭師になる日系人が大勢いました。戦前、ロサンゼルスで働く庭師が多かったことが、戦後この土地で庭師となる人々の背中を押したのだと思います。彼らに、農業や植物栽培の経験があったことも一因でしょう。私の父がカリフォルニアに来た理由も同様だったはずです。
父は懸命に働きました。皆、一生懸命、長時間働いていました。私たち兄弟も、朝6時に父に起こされ、手伝わされていました。週末や祝日は必ず働きましたし、ありとあらゆる仕事に駆り出されました。遊んだことなんてありませんでしたね。
私が自分なりに庭師の仕事を学んだのはこの頃でした。私は、父や父の友人たちに、そして園芸場の人にもよく質問していました。すべきこと、してはいけないこと、植物の名前、日向か日陰かなどの植物を植える場所、肥料のこと、いろんなことを教わりました。それは、私が造園業を詳しく学ぶための大きなモチベーションになりました。
日付: 2005年12月1日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ダニエル・リー
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター