ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/724/

土地にあった盆栽作り(英語)

(英語) 日本はロサンゼルスより少し寒いので、それは調節しなければいけない点ですね。それから湿度は、日本の方がロサンゼルスより高いです。ロサンゼルスはもう少し乾燥しています。だから盆栽が、ロサンゼルスの乾燥した湿度に馴染むよう、どうすればいいか考えなければいけないんですね。気候を変えることはできませんから、(使う)木を変えなければいけないんです。日本の湿度に合う種類の松もあれば、ロサンゼルの湿度に合う松もあるんですね。そのようにして、違う種類の木を使うんです。気候を変えることはできませんから。使う木を変えて、その土地の気候と同調するようにするんです。

(手元の文書を読む)

ああ、それから、土と水も違いますね。木が違うので、土や水もここで使う木に合わせたものを使います。だからもちろん、土や水はここで調達できますよね。僕は、日本の土や水を意識することはありません。必要なのは、自分が住む土地の素材なので、地元の土と水を使う訳です。そうすると木が枯れることもありません。


盆栽 造園 (landscape gardening)

日付: 2004年2月4日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ダニエル・リー

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョン・ヨシオ・ナカ氏は1914年8月16日コロラド州ブライトンで、日本人移民のカキチとユキノとの間に生まれました。幼少時代を父親が経営するコロラド州フォート・ラプトンの農場で過ごしましたが、祖母の面倒を見るため、8歳の時に家族と共に日本へ移住し、そこで祖父から盆栽を習いました。

1935年、21歳の時、ナカ氏は兄の農場で働くためコロラド州に戻りました。そこで妻のアリスに出会い、結婚して3人の息子を授かりました。第二次世界大戦後は家族と共にロサンゼルスに移り、すぐに日系アメリカ人コミュニティーを対象に盆栽を教え始めました。その後、のちにCalifornia Bonsai Society(カリフォルニア盆栽協会)となる盆栽クラブを設立。盆栽教室を英語で行うようになり、日系アメリカ人コミュニティー以外の人たちにも盆栽を教えるようになりました。また、盆栽に熱心な人たちの要望に応え、各地で教室を開催するためカリフォルニア全土を訪れるようになり、後にアメリカ全土、カナダ、オーストラリア、南アメリカ、南アフリカ、ヨーロッパからも教室や講義を依頼されるようになりました。ナカ氏は盆栽を西洋諸国に広めるため大いに活躍しました。

盆栽教室への人気が高まったため、ナカ氏は世界中で(盆栽を)教えることになりました。また『Bonsai Techniques(盆栽テクニック)』と『Bonsai TechniquesⅡ(盆栽テクニックⅡ)』の2つの本を執筆。これらは多言語で出版されています。そして1985年には日本の天皇から贈られる勲五等双光旭日章(the Fifth Class Order of the Rising Sun)、1992年には全米芸術基金(NEA)から贈られるThe National Heritage Fellowship Awardなど、数々の賞を受賞しています。The National Bonsai and Penjing Museum(ワシントンDCの国立樹木園の一部)にあるJohn Naka Pavilionはジョン・ヨシオ・ナカ氏の栄誉を称え命名されたものです。

ナカ氏は2004年5月19日に亡くなりました。(2006年10月4日)

ルー・キタシマ

日本庭園の自然美(英語)

三世庭師・造園士

ルー・キタシマ

英国で日本庭園をデザイン(英語)

三世庭師・造園士

ルー・キタシマ

日本庭園の要(英語)

三世庭師・造園士

ルー・キタシマ

日本庭園にその土地の植物を採用(英語)

三世庭師・造園士

ルー・キタシマ

クライアントの好みに合わせた日本庭園(英語)

三世庭師・造園士