ディスカバー・ニッケイ

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カリフォルニア州ガーデナで育まれた順応性と競争心 (英語)

(英語) ある意味、僕らは両親の夢の代行者だった訳です。親たちが叶えられなかった夢そのものに、子供たちが置き換えられたんですね。強制収容所に送られ人種差別を受けることがなければ叶えられたであろう自分自身の姿を、僕ら子供たちに投影しているんです。だから子供たちは、成功するようずいぶんプレッシャーをかけられていたと思います。まずそれが1点目です。

2点目はいわゆる隠れた希望で、それは希望であり必要性ですね。「自分の子供を素晴らしい人間に育て上げ、自分たちは価値あるアメリカ人だということを白人たちに証明しよう。」という思いが希望であり、これはうっすらとではあるけれど存在していた感覚ですね。そして必要性は、「あなたたちは特別でなくてはいけない。他のみんなよりも、倍の成功を修めなさい。もしそうなれなかったらまた収容所に送られしまう。」という思いですね。そしてそれを具体的に口にすることはなくても、日系アメリカ人たちが成功しなければならないと潜在的に思っているのを、僕もなんとなく感じていました。日系人は少しの間違いも犯してはいけない、政治問題に関して目立った発言をしたり、学校の成績が悪かったり、そういうことは全てとんでもないことだ、という訳です。収容所の経験が、日系の自分たちがこの国に安全に留まるためには確実に成功していなければならない、という考え方を強固にしたんですね。


差別 教育 アイデンティティ 対人関係 人種差別 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2003年2月8日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ、マーガレット・チョン

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

デール・ミナミ氏は、1946年10月13日カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、同州のガーディナで育った日系三世の男性です。1968年、南カリフォルニア大学で政治学の学士号を取得し、卒業時(学業優秀者に贈られる)magna cum laude(優等賞)を受賞、同時にPhi Beta Kappa(全米最古で終身会員制の優等学生友愛会)の会員資格を授与されました。そして1971年、カリフォルニア大学(バークレー校)Boalt Hall School of Lawで法学修士号を取得しました。ミナミ氏は、Asian Law Caucus, Inc.、Asian Pacific American Bar Association of the Greater Bay Area、The Asian Pacific Bar of California, the Coalition of Asian Pacific Americansの共同創立者です。

ミナミ氏は、アジア太平洋系アメリカ人およびマイノリティーの公民権に関わる(数多くの)重要な訴訟に関わってきました。そのひとつに、コレマツ対アメリカ合衆国があります。これは、当初米連邦最高裁が(日系アメリカ人を隔離し収容することへの合憲性を)支持するという重要な判決を下し、40年前にコレマツ氏が、第2次世界大戦中に日系アメリカ人に出された退去命令を拒否した罪で有罪となったのを覆す訴訟でした。その他には、1)アジア太平洋系アメリカ人(全体)を代表してアジア太平洋系アメリカ人が起こした初の雇用をめぐる集団訴訟、United Pilpinos for Affirmative Action対California Blue Shield(保険機関)。2)アジア太平洋系アメリカ人を代表し、ワシントン州立大学にアジア系アメリカ人研究プログラムを開設するよう要求した集団訴訟、スポケーンJACL(日系アメリカ人市民同盟)対ワシントン州立大学。3)終身在職権を不当に却下されたことを申し立てたことで、教育の場で差別があると公に報道された為、最終的に学校側から終身在職権を与えられた、ナカニシ対UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)など、重要な訴訟に関わってきました。

ミナミ氏は、カリフォルニア大学バークレー校およびカリフォルニア州オークランドのミルズカレッジで教えた経験があり、State of California's Fair Employment and Housing Commission、State Bar of California(カリフォルニア州法曹協会)、およびJudicial Nominees Evaluationのコミッショナーを務め、更にAttorney General’s Asian/Pacific Advisory Committeeの委員長、Senator Barbara Boxer’s Judicial Screening Committeeのメンバーを務めています。また1994年には、クリントン大統領の任命によりCivil Liberties Public Education Fund Commissionの委員長を務めました。現在は、サンフランシスコを拠点とするミナミ・リュー・タマキ法律事務所のパートナーとして、人身傷害およびエンターテイメントの法律を専門に活躍しています。(2003年2月8日)

ミア・ヤマモト

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サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。