ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/655/

「100%日本人」(英語)

(英語)2番目の息子が4歳の時でした。妻が彼を連れてボストンに帰った時、アイスクリームを買うために並んでいた時のことです。年配の白人女性が息子を見て、彼の国籍がわからなくてちょっと混乱している様子だったそうです。女性は、「ぼうや、あなたは何?」と聞いてきたそうです。息子が、「ええと…」と言うと、女性は、「ぼうや、名前は?」と聞きました。息子が、「パトリックだよ」と答えると、「アイルランド系の名前だね」と女性は言いました。息子がそうだ、と答えると、彼女は「人種は?」と聞きました。息子は意味が分からなかったんですね。彼女はまた、「あなたは何?」と聞くので、息子は、「僕は男の子だよ」と答えましたが、女性は、「そう意味じゃなくて、何?」と言ったそうです。息子は、「僕は4歳だから日本とアイルランドだよ。でも大人になったら100%日本人になるんだ」と答えたそうです。


ハパ アイデンティティ アイルランド人 日系アメリカ人 多人種からなる人々

日付: 2006年6月1日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

コバヤシグループ株式会社(Kobayashi Group LLC)の創設者、バート・A・コバヤシ氏は1944年11月10日にハワイ州ホノルルに生まれました。日系アメリカ人3世で、両親共にハワイ出身です。コバヤシ氏が19歳の時、父アルベルトが病に倒れ、父の経営していた建設会社を突如継ぐことになりました。当初は経営に四苦八苦していましたが、後に経営のコツをつかみ、ハワイ最大の建設会社まで成長させました。1997年にはこの建設会社を社員に売り、後にKobayashi Development Groupを創設します。定年まで会長を務め、現在は息子のBJ・コバヤシを社長とし、自らは顧問を務めています。また、ハワイ大学財団創設といった彼の慈善事業はハワイでもよく知られており、数々のコミュニティや教育機関の理事としても活躍しています。 (2007年3月1日)

ロイ・H・マツモト

ニックネーム(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)