ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/629/

日本人と日系アメリカ人との主な違い(英語)

(英語) 僕の思いの根底にあるのは、日系アメリカ人は日本人であることを否定するよう教えられ、その考え方を積極的に追い求めてきたんじゃないかということなんです。それとは対照的に、日本人は日本人であることを受け入れ、それを居心地よく感じているんです。彼らにとって、恐らく日本人以外になろうとすることは居心地の悪いことでしょうね。

そういう意味で、日系アメリカ人であることの方がいい、という訳ではないのですが、でも日本人と日系人は違っていて、日系アメリカ人には有利な点があります。彼らは日本人以外の別の者になるよう、白人になるよう、または自分の属する文化に同化するよう積極的に努力してきましたよね。僕にとっても、同化して社会に溶け込むっていう点でそれは自分の力になってきたように思います。僕はたぶん集団の中で主要な地位に就くようなことはなくても、その中に溶け込んで、自分の役目はかなり上手く果たすことはできるんです。

そういう点で日系アメリカ人は有利であると思います。本当の自分以外の者になろうとする人たちが居て、もう一方では自分のままで居る人たちが存在する、という点で違うんですよね。ただそれだけです。


Finding Home(映画) アイデンティティ 日系アメリカ人

日付: 2003年9月12日12

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

2世の母と3世の父を持つビンス・オオタは、ニューハンプシャー州に生まれました。オオタ一家はロサンゼルス、ニューヨーク、ミネアポリス、ロンドンと転々とした後、メリーランド州ゲイザースバーグに落ち着きました。メリーランド州の小さな町で育ったため、アジア系アメリカ人との交流は少なく、夏にロサンゼルスにいる親戚と過ごすくらいで、自分の環境をアメリカの『純粋な白人』のものであったと述べていました。その後、西海岸へ移り、コミュニティカレッジへ入学。その後はCalifornia Institute of the Arts(カリフォルニア芸術大学)へ進学しました。ロサンゼルスで7年間クリエイティブデザイナーとして働いた後、1996年に渡日しました。以来日本に住む彼は、インタビュー当時、クリエイティブデザイナーとして活躍しており、今後の日本在住意思を示していました。(2003年9月12日)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ピーター・ミズキ

剣道の修行のために訪れた日本 (英語)

在日三世・剣道家

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

ピーター・ミズキ

米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)

在日三世・剣道家

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)